#145_【読書】鬼時短/小柳はじめ(東洋経済新報社)
「地方に移住したらのんびりできそうでいいですね」「ゆったりとした暮らしができそうですね」と言われることがありますが、実際どうかといいますと、案外忙しいものです。
都会に比べたらアウトソーシングできることなど限られますし、私のように人望が薄い者ならともかく、役が集まる人のところにはどういうわけか次から次へと色々な役が舞い込んできて、ますます忙しくなります。
そして、公共交通手段が貧弱ですから移動手段は当然クルマ、 東京で会社員をしていた時と違い自分で運転しないといけませんので、本を読む時間が格段に減りました。
これではいかん!ということで手に取ったのがこの本です。
著者に対する印象
著者は、2015年12月に発生し、翌年9月過労死事認定された電通新入社員の自殺を機に、社内で労働環境改革を推進された方です。
著者は広告代理店の方ということで、体裁よく美辞麗句が並んでいるとか、キラキラしたフレーズのオンパレートじゃないの?、とイメージされるかもしれませんが、経理を10年経験したほかグループ会社の副社長を4年間されていたそうで、人や組織を動かす上で「誰でもできることだが、誰もしない」ことを愚直に取り組まれた方、という印象です。
本書に書かれていませんが、通底しそうなキーワードは、ズバリ「にんげんだもの」ではないかと思います。
エピソードから感じること
最近「あなたは何がしたいんですか?」というのを自答もすれば、他人へ問いかけることもありますが、日増しに大事なことだと感じます。
物書きをするようになったせいか、「何か発信するということは、言いたいことがあるからするのであって、この人はどういうポジションから主張しているのだろうか」と考えるようになったり、「世の中に中立の主張など存在しない」 くらいに思ったりしますが、誰かに言わされているとか、本質を隠した主張って、弱さや誤解を生み、物事が通らなかったり、あらぬ方向に進んだりして、無用な労力を生んでいるように感じます。
例えば、広瀬香美の歌に出てくる女性に対し、軽蔑はしますが、まぁ人間そんなもんよねぇ、とも思います。むしろ、フェミニストの言動のほうに違和感を抱きます。自分の主張を通すために他者をダシにしているのが透けて見えるあたりが(私は、フェミニズムに否定的ではありません)。
人が動かそうとしたら、良し悪しはともかく、立派な大義名分より、欲に委ねるほうが、自然ではないかと常々感じています。正論だけでは人は動かないものです。
そして、広告代理店といいますと「中抜きビジネス」ばかりが偏って強調されているところがありますが、その存在意義についても考えてみたいと思います。
中抜きの実態に関する是非はともかく、企業への営業から万単位の人を動員するイベントまで、組織内外のあらゆる人を動かしている、まさに「調整の達人」という点については、異論がなかろうかと思います。
大企業や官僚機構のような組織であろうが、地域おこしの現場であろうが同じかと思いますが、ポエムを垂れ流して行動を起こさない人よりも、失敗を重ね周囲に迷惑をかけながらもドサ回りのような仕事を進んで引き受ける人のほうが信用されますよね。
他人の考えや行動は予測不可能なものですから、意外とバカにならないストレスを抱えることが多いものです。
逃げずに調整する
そして、電通といえば、このような社風をイメージされる方も多いのではないでしょうか。
「あんな社風だからこそ、過労死の事件が起きた」という意見も、もちろんあることでしょう。しかし、それがあったからこそ、価値を見出し、仕事を依頼する人がいたのも事実です。
そして、組織の中で「いままで正しい」とされてきた価値観の中、長年勤め上げてきた人たちに対し、いきなり真っ向から否定する言葉をぶつけようものなら、いままでのキャリアが全否定されるわけですから、改革のために人を動かすことを考えると、全くの悪手となることが想像されます。
まさに、著者は時短において「逃げずに調整する」を貫いたのでしょう。
人を見る
そして、協力者を募るくだりで、このようなことも指摘しています。
著者の意図と重ならないかもしれませんが、交渉事のセオリーとして「面倒くさい人から話をしに行く」というのはよく耳にしますが、逆に「よろこんで!」という人に注意しなければいけない、というのは面白い見方だと感じました。
不親切を装う必要はありませんが、下心のようなものが感じられるあたりが、「進んで教えたがる人には気を付けろ」という話と似ているかもしれません。
まとめ
翻って私はどうだったのか振り返ってみますと、私が就職活動をしていたあたりが就職氷河期でしたから、会社員時代、コスト削減、残業削減と、嫌というくらい言われて続けました。
まぁお世辞にも出来がいい社員とはいえなかったので、管理職から散々詰められながら、 そんなモチベーションの下がるもの言いで、言質を取らされる感じに言わせたいことを引きずりだして、目的が達成できるとでも思っているのだろうか、と感じていました。
いまにして思えば、おそらくその管理職も、さらに上から同じように詰められていたのだろうと思いますが、まさしく「面従腹背」 の連鎖が起こっていたのだろうと思います。
取り繕ったところでバレる世の中になり、またそれが猛烈なスピードで拡散される時代にもなりましたので、たしかにそれが一番コストがかからない選択なのかもしれません。
そして、世の中ギスギスしていたら、コミュニケーションコストも膨大に膨れあがると思います。
つまるところ、忖度をせず、自然体でいられる組織づくりが必要であることを実感しました。