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#206_【旅と学び】越境の学び@対馬学フォーラム2024

先日、対馬の知が大集合する「対馬学フォーラム2024」が、今年も開催されました。
今回で9回目となるそうですが、フォーラムでは、毎年市内にある学校の学習成果や課外活動、研究者だけでなく市民も含めた研究活動を発表するポスター発表などが行われています。

【ポスター発表の様子です。】

また、発表者の方々が一堂に会しますので、様々な背景を持った方と交流できる機会となります。
個人的は、移住前のアイランダーで初めてお目にかかり、現在はとある国立大学法人で働く対馬が生んだ才媛Y子さんをはじめ、懐かしい再会もありました。

そして今回は、対馬や朝鮮半島をテーマにした実習を10年続けてこられた島外の高校の先生からの成果発表もありました。
弊社の業務と親和性が高いテーマということもありますが、会場での反応を見た感じ、広く興味を持たれる方がいらっしゃいそうな内容でしたので、そちらに焦点をしぼってご紹介したいと思います。


「越境対馬」プロジェクト

発表されたのは、「越境対馬」プロジェクトと題し、対馬や韓国をフィールドとして実施してきた早稲田大学高等学院教諭の柿沼亮介先生です。
このプロジェクトは、2015年から始まったということで、まさに今年が節目の10年となります。

【柿沼先生の発表です。】

柿沼先生は、大学で古代史を専攻し、現在は日本史を教えていらっしゃいますが、対馬に行こうと思ったきっかけは歴史ではなく、毎年何度も韓国に通っていた中で「釜山から対馬に行けるらしい」という話を聞き、じゃあ1回渡ってみようと思ったから、とのこと。
このプロジェクトでは、全学年に希望者を募り、毎回10人程度が参加しているとのこと。

7年前(3回目)に一度、物書きの仕事の名目で半日実習に同行していたのですが、改めて調べ直したところ、その時の原稿がお蔵入りしたたためすっかり記憶の彼方に飛んでおり、とんだ粗相をしてしまったと反省しております。

【2017年夏の比田勝港国際ターミナル2階です。】
【上対馬高校と韓国の高校生と一緒に、比田勝港周辺で観光事業者へのヒアリングです。】

対馬と釜山を「越境」すると何を感じる?

昨年対馬には、韓国から約12万人が入国したと推計されています。
ピークだった2018年は、41万人だったとか。ちなみに、その当時、釜山から比田勝までは1時間10分で行き来でき、日本の旅客船が出入りする港で一番出入国者が多い港でした(補足:博多港や下関港より多いことを意味します)

柿沼先生が勤務されている学校は、おそらく教育熱心なご家庭の生徒さんが通われる都市部の私学ということで、アメリカや中国など海外渡航の経験がある生徒さんが比較的多いとのことですが、空港の中で出入国審査をし、ボーディングブリッジを伝って屋内にいながら飛行機に搭乗し、到着した空港のある線を越えて入国、という流れがほとんどかと思います。

しかし、対馬と韓国との往来は10万人を超える規模でありながら、航路は船(高速船)のみで、飛行機はありません。
ですから、対馬と釜山を「越境」する時は、海を越え、到着した港に上陸し、水際で審査を受けてから入国します。

【比田勝港に入港する釜山からの高速船です。】

柿沼先生は「海は隔てるものでもあり、つなぐものでもある」「対馬は本土と朝鮮半島との間で対立の最前線でもあり、交流の最前線でもある」とおっしゃていましたが、まさにそのことが実感しやすい場所であります。
また、現在の船でも海が荒れると船体が大きく揺れますので「釜山から命がけでやって来た」というのが冗談に聞こえないくらい大変なことになります。エンジンやスタビライザー(揺れを抑える装置)がなかった時代の航海がいかに大変であったのかも、お感じいただけるのではないでしょうか。

プロジェクトの10年間

振り返りますと、この10年間に立ち会ったというのは、なかなかのご経験をされていると思います。

2011年10月に比田勝-釜山航路へ新規参入があり、3社が競合するようになってから、対馬に来る観光客が爆増します。

「越境対馬」プロジェクトが始まった2015年は観光客が右肩上がりで増えているタイミングで、2018年にピークの41万人を迎え、2019年上半期は前年の1割増で推移していたものの半ばに日韓関係悪化し激減。2020年4月にはコロナで運休となって2022年までゼロが続き、2023年2月から運航再開でまた増加という変遷をたどります。
その間には、東横INNなど大型ホテルが開業し、比田勝港の前にもコンビニができるなど、島外からの投資も目ざましかったですが、コロナの半年前から韓国からのインバウンドだけに頼っていた脆弱さを露呈するという、辛酸も味わいました。

私は島外出身で、日韓交流にあまり思い入れもなかったため、コロナ禍のさなか観光事業者回りをしてやっと実感するようになりましたが、全国を見渡してみても、観光や国際交流でこれほどの浮き沈みを経験している地域は、相当レアかと思います。

学生のうちは異次元すぎてなんのことだか全く分からず、年を重ね色々な経験を積んでようやく理解できる、という感じになるのかもしれませんが、対馬を訪れこのような状況を目の当たりした生徒さんたちにどのように映るのか、非常に興味があります。

「民泊」の存在

対馬でいう「民泊」は「農林漁業体験民泊」のことを指します。
このプロジェクトの説明で時々「民泊」というワードが出てきましたが、何に関係があるのだろうかと気になっていました。

このプロジェクトは高校の全学年生徒を対象としています。
高校生だけで1,500人、1学年で12クラスあり、クラスや部活が違うと、同じ校舎にいて同じ学年であっても知らないのが前提になる状況だそうです。
すっかり過去のことになりましたが、私が高校生の時は1学年10クラスの400人でしたので、むしろその頃に近いかもしれません。

そのような中、特定のつながりもなければ学年も違う生徒さんが集まりますので、最初はみなぎこちないそうですが、対馬では民泊に泊まりますので、必然的にみんなまとめて「じいやん」「ばあやん」の家に泊まる感じになり、兄弟のように仲良くなるのだそうです。

最近は、従来のように1学年まとめて同じ場所に行く修学旅行から、昨年ご来島いただいたドルトン東京学園さんのように、行き先を複数用意して行きたい場所を選択する教育旅行にシフトしている学校も出ているようですが、実際にアテンドしながら見ていた印象からすると、言われてみればたしかにと思いますが、そんな効用もあるのかという発見がありました。

もちろん、対馬で暮らしていますと、よそと変わらぬ暮らしをしているつもりでも、国境や外国を意識する場面は他の地域に比べ多いと感じますので、観光客の目線ではなく、生活者の目線で対馬という場所を知ることができるのも、大きな意味がありそうに思います。

まとめ

対馬学フォーラムには、教育関係者や、通うくらい対馬にドはまりした人が集まっていますので、多少のバイアスはあるのでしょうが、当日柿沼先生が発表した後の質疑応答の時間では、絶え間ない質問の挙手があり、時間がきて打ち切られた後も質問攻めという感じで、多くの方が注目される内容だった印象でした。

弊社の業務に直結しそうな内容だったことと、以前柿沼先生にお目にかかってからだいぶ時間が経っていたことが聞きにいった動機でしたが、学校の授業以外での部分の様子を知ることができたり、オンラインツールが充実してきた中でわざわざリアルに集まって学ぶことの意味について考えたりと、非常に学びの多い内容でした。

参加した生徒さんが、その後どうしているのか気になり伺ったところ、対馬の砲台をテーマにした論文をコンテストに応募し引き続き研究したいという生徒さんや、地方との関わりに関心を持ち、中には総務省に入省した卒業生もいるそうです。

【プロジェクトに参加した高校生のポスター発表です。】

ご興味を持たれた方へ

「対馬越境」プロジェクトでは、東京の高校生が1週間対馬と韓国を訪れる内容ですので、費用や引率者のことなど考えますと完全コピーで再現しようとするのは、あまり現実的でないと思います(柿沼先生も、その点は承知されています)。

とはいえ、自然、地理、歴史から、そこに波及する産業、文化財、外交や交流など、「国境」と「島」をテーマに様々な切り口から、ご興味がある要素を抽出して提案することもできます。
まずはお気軽に、下記のお問い合わせフォームからお問い合わせいただけると幸いです。

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佐藤雄二_ビーコンつしま
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