#144_【読書】ハジの多い人生/岡田育(文春文庫)
2024年4月から毎月第3水曜日に、朝日新聞夕刊で岡田育さんの「ハジッコを生きる」という連載が始まりました。
対馬は日本の「すみっこ」ですから、タイトルに惹かれて読んでみたところ、10年ほど前「ハジの多い人生」という本を出されているとのこと。
ここでいう「ハジ」は「ハジッコ」の意味です。
どんなかなと手に取ったところ、まことに勝手ながら、つしま縁テージラボのテキストにしたい!と感じる内容でしたので、ご紹介したいと思います。
朝日新聞の連載初回に「年の三分の二をニューヨークの自宅で暮らしている」と書かれていたので、読む前はわちゃわちゃしている日本の俗世間を、遠く離れた場所からクールに眺める感じの内容かと想像していましたが、著者が幼少期から世間で言われる「普通」とは違う人生を歩んできたことから感じたことが綴られています。
ちなみに、針が振り切れんばかりにぶっとんだ腐女子である模様。
私は、我を忘れるほど夢中になれるレベルに達した趣味は持てていないものの、「普通」の人からすると異質なふるまいをしてしまうところはあるようで、「普通ってなんだろうか」とか、「別に好きで「ソロ活動」をしているわけじゃないんだけど」と思うところは、とても共感します。
私の場合、対馬に移住してから、割と思ったことをストレートに言ってしまうようになった気がしますので、傍からは好き勝手に我が道を行っているように見られることもありますが、ひとりでできることに限界があることくらい認識していますし、自分が「マイノリティ」のポジションにいると、自ら主張をしなければ他に声を上げてくれる人がいないからやむを得ず行動に出るだけなのですが、それによってチャレンジングだのアグレッシブだのと思われ、ますます距離が広がっている人が増えているように感じます(^^;。
変化を望むのに行動を起こさない人の精神性そのものに疑問が湧いてくることが一時期ありましたが、「マジョリティ」のポジションにいると、自分から動こうとする意識が生まれにくくなってしまうのかもしれませんね(この場で良し悪しは論じません)。
一昔前でいう「マニア」(「オタク」と言うほうが分かりやすいでしょうか)気質の人たちは、「普通」の人からしますと自分の理解が及ばないと感じるあたりから、「気難しい」「めんどくさい」「気持ち悪い」などというレッテルを貼られがちだったように思いますが、近年では、ネットやSNSの発達により、リアルのコミュニティに共感してくれる人がいなくても、離れたところでつながりやすくなり、「マニア」と呼ばれる人たちの気質も変容してきたのではないかと感じます。
最近話をしていて感じるのは、ここだけは譲れないというこだわりはお持ちですから、何かの過ちでそこを侵してしまうと激怒されますが、そこをきちんとわきまえれば、むしろ、こちらが恐縮するくらいに腰の低い方々が多いように見受けられます。
「普通であること」を求められる空気を感じながら身につけてきたふるまいの表れかもしれません。
そして、「規格」にあてまらないこと、「枠」に収まらないことは、「普通ではない」こととされ、それが「恥」という意識につながっているようなことを著者は言及しています。例えば、胸が大きいとか、足が大きいとか。
「規格」も「枠」も「普通であること」も、所詮は「ラベリング」する人の主観に過ぎませんが、
と著者が述べるように、今日ではネットの力によって目に見えぬ圧力から解放される世の中になったという点が、興味深く感じました。
カジュアルで勢いを感じる文体で書かれていますが、ハジの多い人生を歩んできた著者から投げかけられる「普通」への疑問について、考えさせられることが多い一冊でした。
他者を認める寛容さは、率直に必要であると感じる一方、正論なだけに押しつけがましく反発したくもなりそうと思うところがありましたが、色々な世界を知ることで視野が広がる面白さを感じられたら、他人や外圧から押し付けられなくても寛容になろうと思えたりしないだろうか、という考えに着地しました。
著者ほどではないとは思いますが(それは、褒めているのか貶しているのか定かではありませんが)、私も「ハジッコを生きる」者として、「普通の人」にも「ハジッコ」が気になると思ってもらえるよう、表現や発信をしつづけようと思うところです。
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