ベルリン・ユダヤ博物館を訪れる
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑を訪れた後、次に向かったのは、ベルリン・ユダヤ博物館。
しかしこの旅行3か国目ということもあり、ドイツではあまりきちんとした計画を練ることが出来ていなかった。
ユダヤ博物館を訪れたのも束の間、私はあることを後悔した。
…人、めっちゃ並んでるなあ。。。
オランダでは美術館の予約を完璧にしていったが、まさかユダヤ博物館もこんなに並んでいるとは思わなかった。慌ててユダヤ博物館の目の前で、3時間後入館のオンラインチケットを予約する。もし行かれる予定のある方は予約することをお勧めします!!!
体調が悪かったということもあり、一度ホテルに戻ってからもう一度ユダヤ博物館を訪れることにする。
そして3時間後。再びユダヤ博物館の前に私は立っていた…。(非効率)
荷物をクロークに預け、いざ鑑賞開始。ユダヤ博物館に、文字通り「入る」だけで、私はかなり興奮していた。
なぜか、それは展示物だけでなく、建物自体にもこだわっているのが、この博物館の特徴だからである。
実はこの博物館を知ったのは、ドイツに興味を持つ以前である。
私は物欲が爆発し、とにかく何か買いたい!という気持ちになったとき、大体本を購入することが多い。
例にもれず、高校生になりたての私は「世界の美しい博物館」という本を購入した。そこに載っていたのが、このベルリン・ユダヤ博物館だったのである。
わざと傾斜のついている廊下、限られた場所から斜めに差す光、フロアの形もジグザグでまっすぐ進めないようになっている。
本来目指されるはずの「居心地のいい建築」とは真反対のコンセプトの下で建築されたこの博物館。直線的でコンクリートむき出しの不安を感じる空間に、日記や大きくJとスタンプの押された身分証(Juish,ユダヤ人であることを示す)が展示されている。
2階にはさらに見たことのないタイプの展示。
まず廊下にぐしゃぐしゃに丸められた紙が、捨てられたように置かれている。
これ、何が正解なんだ…?こういうモニュメント…?と思っていたら、前にいる人がその紙を広げて読み始めて衝撃的だった。
”これ”がそのまま展示物なのだ。博物館って、当たり前だけど、触れてはいけないとか汚してはいけないというイメージがあるものだから、びっくりした。
紙には、一人称視点でその人の家族の物語や体験について綴られていた。まるで誰かの日記を盗み読みしているような感覚になる。
もしかしたら、本当に「日記」というコンセプトのもと作られたのかもしれない。でもそれならどうしてぐしゃぐしゃに? 嫌な、消し去りたい記憶なんだろうか。
読み終わると、私もぐしゃぐしゃにして捨てるように手放す。なかなか新鮮で、慣れない展示だ。
更に2階の展示の突き当り、私がずっと見たかったものを遂にその目で見ることが出来た。
というより、最初に聞こえたのはその特徴的な音だった。
鉄と鉄が触れ合う音。ギッというあまり耳触りのよくない音。がちゃん、がちゃんと堅い地面に鉄が触れる音。
うわ!!!あの展示があるのだ!この階に!と思うと、いてもたってもいられずすぐに見に行った。(こういうことが私には非常に多い)
そして、この目で初めて見た。あまりに圧倒的で、一度見たら目に焼き付いて離れない光景。
鉄で作られた無数の顔、顔、顔…。
鉄同士がこすれる音がするのは、この上を「歩く」ことで展示が完成するというアートだからである。
犠牲になったユダヤ人を模した顔の上を、である。
悲鳴のように聞こえてくる鉄の仮面。光源が限られていて薄暗い空間。
今までの展示物のように、なにか説明があったり、読み物だったりするわけではないのに胸に迫る。今までの展示物以上に。
展示を見終わり、更に上階へと足を進める。
するとそこは、予想と打って変わって明るく柔らかい雰囲気の空間だった。温かい室内照明が沢山あり、今までの冷たく少ない照明とは真逆である。
3階は、今まで展示されていたユダヤの暗い歴史に関する展示ではなく、ユダヤという民族、そして現在のユダヤ人の生活を理解を深めるための展示が沢山あった。
なんというか、これは自分の中で目から鱗が落ちた経験だった。
ユダヤ人という民族について語られるとき、その暗い歴史を抜いて語られることはない。だから、ユダヤ=悲劇が私たちの頭の中で深く結びついて、離れることがない。
ただし、本当にこの出来事について理解を深めたいと思えばこそ、そうではない「ユダヤ」という民族について知ることも必要なのだと思った。
この階の展示は比較的明るい気持ちで鑑賞することが出来た。「興味がある」とは書いたものの、ユダヤの文化に対しては知らないことばかりで、学ぶべきことばかりだったからだ。
展示も大詰め。
もう一度、戦時下のユダヤ人に関する展示へ戻る。
ここで思いがけず衝撃のものに出会う。
ユダヤ人が衣服につけなければならなかった、黄色い星である。
それ自体は、アンネ・フランクの家でも見たから、衝撃的というほどのものでもない。
しかし、その時私が目にしたものは、まるで反物のように巻かれている黄色い星の”原型”だった。
この黄色い星がユダヤ人にとってどれだけ重たいものか。それは、ホロコースト関連の書籍を何冊か読めばすぐに分かることである。
でもこの展示は、ナチスが黄色い星を作るときに見た光景で、ナチスの視点でのものだった。
星たちが、まるで工場のラインのように整列している。
そこからは、その星がユダヤ人たちから奪ったもの、人権や尊厳といった重みが一切感じられない。あまりに軽すぎる。
これを見た時、「ああ、当時のナチスにとってのこの作業は、事務作業でしかなかったのだろう」と思った。
ユダヤ人にとっての黄色い星と、ナチスにとっての黄色い星。あまりに違いすぎてくらくらしそうだ。
閉館まで20分を切った。やっとのことで動き出す。
展示をすべて見終わり、クロークで荷物を受け取り、外に出る。3月になりたてのまだ冷たい空気。
寒いのは嫌いだけど、淀んだ、もやもやとした黒い気持ちが、凛と冷えた空気を吸って、少しだけ軽くなった気がした。頑張ってホテルまで戻ろう、トルコで(もう少し)生きよう、日本に帰っても頑張ろうという気持ちが自分の中で自然に沸き上がり、噛み締めながらホテルへ帰った。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?