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冥界の王、水瓶に座す 2025【後編】

2025年の星の動きを、もうすこし詳しく見てえみよう。
3月30日に海王星、5月25日には土星がそれぞれ魚座から牡羊座に移動する。7月7日には天王星が双子座にはいる。これらはなにを意味するのか。

まず、海王星という天体は理想を思い描き、見えない世界とのつながりをあらわす。この星が能動的で血の気の多い牡羊座にはいると、みずからの理想を追い求めてやっきになる。つづけて、現実的で堅実な土星が、同じく牡羊座にはいる。土星としてはやや居心地は悪いが、現実のルール化という方向に傾くことが考えられる。
これらふたつの星は正反対のエネルギーをもつだけに、両者が反発しあって夏が近づくころには混乱が生じるというふうに考えられる。
さらに、7月になると天王星が双子座に移動することで、分断という意味がいっそう強まる。この星の双子座入りは、異なる価値観をもつものどうしの理解をうながしもするが、そこにはやはり衝撃がともないそうだ。

こうした観点から世界を見ていくと、戦争の激化や拡大、株価の大暴落、巨大地震などの大規模自然災害が予測される。それらが現実味を帯びてくるのが2025年である。なかでも2024年の大納会で35年ぶりに年末最高値をつけた日経平均株価はどこか不気味だ。株価暴落のリスクは増しているだろう。極端な為替変動にも注意したい。加えて、ウクライナの情勢はどうしても気になる。領土の奪いあいというかたちをとっているが、実態としては主権の掌握という熱病につかれた権力闘争の要素が強い。共同体感覚の喪失は気になるところで、ロシアとウクライナ両国ともに国内での主張の分裂も懸念されるだろう。

いっぽうで、木星は6月10日に双子座から蟹座に移る。木星が位置する星座を追っていけば、幸運の波に乗れるというのがセオリーだ。引っこみ思案になったり、先延ばししたりせずに動きたいところだ。木星の動きにしたがうなら、2025年の前半は情報やコミュニケーションをつかさどる双子座、後半は情愛や共感の意味がある蟹座的な要素をとりいれると運が開けやすい。嚙み砕いていえば前半は言葉で、後半は心で、人とつうじあいことが必要ということだろう。情報一辺倒のクールな方法論だけでは、この変動期に対応しきれないということを暗示しているようでもある。

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年末のある日、あたりが暗くなってきたころに、知りあいが事務所を訪ねてきた。僕は買ってきたばかりのコーヒーの封を切って、電気ケトルで湯を沸かす。クリスマスもすぎて、街は年の瀬にむけて慌ただしいなかにもどこか静まりを加えていた。
「外は風が強かったよ」
と、来訪者がいう。僕はコーヒーをいれながら、8階の窓から通りを眺めおろす。アスファルトに、クルマのヘッドライトの光が映っている。そこを、イチョウの枯れ葉が舞っている。仕事帰りの人たちが暗くなった歩道を、葬列のように流れていく。
「寒そうだねぇ」
12月もなかばを過ぎたころから、ぐっと冷えこんでいた。
地球は温暖化し、戦争は過熱し、選挙も熱を帯びた年だった。あちこちで煽情的な声がわき起こって、燃えているのかといえばそうでもなく、どこか寒々としている。
僕たちは椅子に腰をおろしてコーヒーを飲んでいる。来訪者は夏にドイツへいってきたそうだ。話題はヨーロッパの極右野党の台頭から、連日報道されているウクライナやガザの戦局に移っていった。ニュースの拾い読みなので、中身はたわいもない。ただ、時代が変化しつつあると多くの人が感じているのはたしかだろう。たんなる陣取り合戦ではなく、主権を根こそぎ奪いとりたいのだ。だからこそ軟着陸は難しいのではないかと。

冥王星の動きは、権力をめぐる闘いやそれへの執着やなど結びつきやすい。パワーゲームと深い関係があり、それはえてして負のエネルギーをともないがちだ。しかもそのエネルギーは社会全体に大きく影響する。,身近なパワーハラスメントやセクシャルハラスメントから、国家間の主導権争いにいたるまで権力にまつわる問題が表にでやすい時代だ。
いまの世界は独裁体制や権威主義へと移ろうとしているかに見える。しかし、占星術が示すのはその逆である。

冥王星が山羊座から水瓶座に移動した。これから約20年間、冥王星水瓶座時代がつづく。それが示すのは、個人の価値観が重視される時代への移行である。別の言い方をすれば、勝ち組や成功者といった価値基準の押しつけが、相対化されていくという暗示でもある。社会や組織の階層が統制型から、個性が重視する方向へと変わっていくわけだ。ただし、こうした特性はかなりアクが強くて、毒をもっている可能性が高い。

冥王星の公転周期が約2世紀半とすれば、パックス・アメリカーナのはじまりであるアメリカ独立から現在までが、ほぼその期間に相当する。その前の2世紀半はパックス・ブリタニカの時代といっていいだろう。だとすれば、いままた、新しい地殻変動が起こりつつあるのだろうか。

世界各地で、戦争がつづいている。政権の交代も目立っている。あぁ、いつか見た光景だ、と戦争を経験した世代はいうかもしれない。もはや大多数となった戦争を知らない世代にとっても、いまの時代は新しい戦前なのか、という危機感はある。
水瓶座のもつ自由の希求は、たんに自由主義や民主主義というかたちではなく、既存の支配階級にたいする感情的でときにヒステリックな濁流へと変化する恐れもある。それは大衆扇情的なかたちをとりがちだ。権力の破壊がまた別の権力を生む。そこにあるのは軋轢であり、破壊の衝撃だろう。

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心理学者の言葉がまた頭をよぎる。
アドラーは、他者への共感や協力が失われると、権力争いにつながると考えた。アドラーの思想の独自性は、権力争いを他者との力関係に見ているのではない点だ。彼は共感性をテーマにしている。これを「共同体感覚」というのだっけ。
ともかく、この共感力が低下すると、人は自分の価値を証明しようとして他者からの承認を求めようとする。承認を手段としてとらえるわけだ。そのため、他者との関係を競争の場と見なすようになり、権力闘争に足を踏みいれていくというのだ。

いいかえれば、権力というものは他者との比較や自身の優位性を求める心理と深く結びついている。つまり、権力を追い求める行動とは、自身の劣等感を克服し、自己実現を達成しようとする試みの一部ということなのだろう。
優位に立ちたい欲求、この欲求をアドラーは「権力への意志」や「優越性の追求」と呼び、人間の行動原理のひとつとして位置づけていた。

水瓶座を表現するキーワードは「I know」だとされる。僕たちはいったいなにを知っているというのか。水瓶にたたえられた知恵の水が、豊かなものであることを望む。しかし、往々にして知識が思いこみや驕りにつながっていく場合もある。
その意味では I know を「私は知る」とするか、「私は知っている」ととらえるかでニュアンスはちがってくる。未知のものへの探求にむかうこともあれば、知識がときに先入観にもなる。既存の権威に囚われたとき、水瓶座の羽はその勢いを奪われる。そのあたりは、冥王星水瓶座時代の明暗をわけることになるかもしれない。時代の幕は切って落とされた。目の前にあるこの不確実な未来に、僕たちはむきあわざるをえない。

そんなことをポツポツ思いながら、年が明けた。
ふいに誘いの連絡がはいって、夕方から知人宅を訪問する。ちょっとした高台にあって、広々としたリビングからは暮れなずんでいく冬の空と海が見えた。すこし離れて高層ビル群が黒い影になっている。その姿はまるで沈黙した巨人のようだ。これもツァイトガイストを象徴する風景のひとつだろか。だらだらと話をして、日付が変わってから知人宅をあとにした。
しばらくは静かな年初めになるのか。天空では、2月ごろまで火星と木星が逆行中。物事が停滞したり、見直しの時期であったりする。
still waters run deep
静かな流れは意外にもその底で激しい勢いをもっていたりする。いつ、その底の流れが表にでてくるか。  -了-

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海辺の散歩者
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