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文章と自分のリハビリ ④(2022年 8月後半の終盤)

 只今、こころの充電中につき。
 一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。

 そこは、私にとっては、note から逃避した隠れ家、です。だから、どこのサイトかは探しに来ないでください。
 だけどもしどこかで見かけたら。声をかけずにそっとしといてください。いにしえの仮面舞踏会では、仮面の下の顔は知らぬものとして、互いが手を取り、ダンスしていたように。

・◇・◇・◇・

 

① 失敗作を反省します

 あまりにも失敗すぎて、かえって考察するのが面白くなったので、ちょいと。

 《雨に佇む》というお題が出て、どうにもなにも出てこなかったので、「通院のとき必ず信号待ちになり、かつ、狭すぎて毎回めっちゃテンションがさがる路地」で、雨に濡れながら信号待ちするめっちゃヘコんだ気分を描写してみようとおもいました。

土砂降りの日。そんな日にかぎって病院の予約がはいってて、ただでさえ気が重いのに、雨合羽を着て原付にまたがり、エンジンをかける。
信号待ちで、首周り、手首周り、足首周りから、容赦なく雨滴が侵入してくるのに耐えながら、ひたすら青信号を待って、雨に佇む。
そのうえ、そこが狭い路地で、排ガスをふかして信号待ちするワンボックスカーと隣りあわせになったりしちゃったら、肩身が狭い思いをするのは原付のほう。

帰りももう一度、同じ路地で、同じように、濡れそぼつことになるのかな。
なんて想像すると。わびしさが、加速する。

 これが投稿の第一形態。基本的に、ささッと書いて、ささッと投稿ボタンをポチることにしています。24時間たったら次のお題が提示される場所であることを逆手にとって、「出来栄えにこだわり過ぎない」「見切りをつけて、さっと手放す」という訓練だとおもってやってます。そして、気になるところは、あとからちょこちょこ手直し。たいがいは、せいぜい2、3語もいじったら気がすみます。
 だけどこの回は、全然うまくいきませんでした。ちょっといじってしばらく放置して、また気になっていじり直して……みたいなかんじで、延々と加工し続けてしまいました。ふだんは翌日になったら、いじることはほとんどないのですが、このときは朝が明けてからも、いじいじ……いじいじ……とにかく、つついてもつついても、満足感がこない!

 気がついたら、こんなことに。

今日は土砂降り。そんな日にかぎって病院の予約がはいってて。ただでさえ気が重い体の上に雨合羽を着て、原付にまたがり、エンジンをかける。
交差点のはるか手前では、首周り、手首周り、足首周り、全方向から侵入してくる雨滴の容赦なさに耐えながら、一心に青信号を待って、雨に佇む。
そこは、路地で。隣で、排ガスをふかしているのはワンボックスカーで。そうでなくても、肩身が狭い思いをしていのは、原付なのに。道沿いの民家の壁ギリギリにむかって、上半身ごと車体を傾けた。

帰りにも、また、同じ路地で、同じように。濡れそぼつことになるんだろうか。
のろのろと動きはじめた車の列に足並みをそろえながら、わざわざそんなことをかんがえている。うらぶれた気持ちが、加速していくだけなのに。

 うん。やりすぎた。
 最終的には、もうイヤになってやめました。一日一題提示してくれるサイトのなにがいいって、24時間後には次のお題が配信されるから、前日のお題が否応無く強制終了になるコトです。

 ということで、最終形態は、たとえるなら「時間も手間もかけたのにぜんぜん芸術的じゃないサグラダファミリア(未完成)」になりました。これぞまさしく、草生えるぅwww。
 なんでこんなことになっちゃったのか。それはおそらく、「書く気がなかった」からだとおもいます。そこまでして書きたい必然性がない = そもそも完成形が見えてない、ということだったのでしょうね。だから、どこまでいじっても満足感がこない。それに、ほどよい加減で抑えるためのアウトラインもみえてないわけですから、加工しても加工しても足りない気がする。
 うまく伝えれないのですが、いつもは内からいじっている感じなんだけど、このときは外からゴテゴテ貼り付けていってる感じ。内的な必然性がないから、それらしい体裁にするために外から一生懸命デコって誤魔化してる感じ、といえばいいのか。
 えーと……木の中に仏様がいるから仏像が彫り上がるわけであって、中に仏様がいないのに外から一生懸命仏像っぽい加工をしていっても、「……っぽい」ものにしか出来ない……仏様に大量にリーチはかけられるけどビンゴには永久にならない、っていうか。
 とにかくそれでは上手くいくわけない、っていうのだけはわかります。

 とはいっても、全部が全部不満足だった、というわけでもなくて、

一心に青信号を待って、雨に佇む。

 という一節は、まさしくそのとおり!、とにかくこの路地から脱出したい、という気持ちが絵画としてもうまくとらえることができました。それから、

のろのろと動きはじめた車の列に足並みをそろえながら、わざわざそんなことをかんがえている。うらぶれた気持ちが、加速していくだけなのに。

 これは「のろのろ」と「わざわざ」を対句にすることによって「やってらんねー感」を加速させたり。めずらしく、外からの加工が上手いこと、ビンゴにたどりつけたラッキーなケースです。
 こんなふうに、成果ゼロ、ではなかったのがせめてものすくいでした。

 だけど、あとからおもいついた、

雨に佇む、通行止めの赤いパイロン。

 この17文字(句読点込み)だけで投稿したほうが、語数も節約されてるし、よほど詩的でした……とほほ。

 

② 「書くべきこと」を書くのがいちばん

家の中にトンボが入ってきた。布団でも干そうと網戸をあけたすきに、すっと、オニヤンマが。
ヤンマは部屋の中をしばらくぐるぐるしていたが、そのうち、あけたはなしたままの網戸から出ていった。

これは、亡くなった人がこの世を懐かしんでやってきてるんだよ、と親からは習ってたけど……そうだ。今日は君の命日だったか。
突然の君の訪問。おいかけるように、ベランダに出る。

はるかな青空。そして、一片の白い雲。

 前日の反省をふまえて、今後は、書く必然性を強く感じられないものは取り上げない、ことにしました。

 お題の《突然の君の訪問》も、さっとは絵がうかばずに悩みました。たぶん、想い人の来訪、というネタが多数を占める、と予想したので、まずは、ふと気がつく季節の変化のきざしのおとずれ、という方向性をチョイス。
 そこから、「今年は暑さとスズメバチの襲撃でほとんど外に出てない → ぜんぜんトンボ(とくにヤンマの類)を見てない!」ということに気がつき、さらに、夏休みになると、田舎のおばあちゃんちでは、よくトンボが家のなかにはいってきていた、ことに興味が飛びました……子どものときは、めちゃくちゃ気味悪かったよ〜、このトンボ、死んだおじいちゃんの霊かもしれんのか……って。さすがにいまは懐かしみの方が圧倒的だけど。
 まあ、ともかく。昆虫が家のなかに入ってくるコト自体は、夏のイベントとしては大好きなのですよ。先日の夜はカブトムシのメスが飛び込んできたしね!
 そこに、若くして亡くなった後輩のことを、ここ数年は思い出してもいなかったな、って気がついて。申し訳無いことしてしまってました。

 結果、「書かねばならない、という気持ちが強いものごと」を題材にすると、やはり、文章がすらすらでてくるし、修正もほとんどせずにすみました。多少ゆるゆるな仕上がりですが、「時間も手間もかけたのにぜんぜん芸術的じゃないサグラダファミリア(未完成)」とくらべたら、満足度はだんちがい、です。

 だけど、なやましいのが、結びの一文の、

はるかな青空。そして、一片の白い雲。

 急に空と雲の話になって、読み手はちゃんとついてきてくれただろうか?、って。
 なんだか、いきなり俳句っぽくなってしまいました。いまさらだけど、「眼前には、」とせめてひとことつけておいた方がよかったかなぁ……。

 

③ 展開が急なのは……疲れたから

上等の紅茶葉に、沸かしたての湯を注ぎ、蓋をする。
言葉はいらない、ただ……砂時計の砂が落ちきるのを待つだけ。

夏休みもあと数日。きょうの夕焼けは、ことのほか綺麗です。

 お題の《言葉はいらない、ただ・・・》のとおりに、少ない語数で仕上がりました。
 おそらく、「抱きしめて」とか「ぬくもりがほしい」とか、恋愛感情込みの接触系コミュニケーションをとりあげるのが主流だろうとふんだので、そういえば、8月は夕日が言葉にならないくらい綺麗な季節だった、ということを思い出してテーマにしました。
 それに呼応して、言語化不能なラグジュアリーさもプラス……いや、ホントは、紅茶っていいよねー、っておもいながら書いてたら、なんとなく夏休みの終わりの夕焼けが映像化された、っていうのが真相です。
 さらに真相をいうと、ここ何年かは冬でも、紅茶は冷水筒で大量に一気に水出し(必要に応じてチン!)、砂時計なんてもとより使ってない(100均のぴよぴよタイマー!)……だからこれは、たまにはこーゆー淹れ方もしたいよね、っていう妄想。
 いやともかく。やっぱり、強く好きなものを取り上げると文章がブレない、ということを再度実感しました。

 しかし、前回にひきつづき、今回もラスト1行で……急に来ました。

夏休みもあと数日。きょうの夕焼けは、ことのほか綺麗です。

 この日はホントにあと数日で9月1日という日だったので、読み手には、「突然世間話が始まったんだが……どうした?」とうけとられないか悩みました。自分でも何となくそう書いたものの、急すぎて、「紅茶の色は夕焼けとおなじ色……ってか?」と後付で関連性をさがしてる始末。

 その一方で、この急さ加減には、デジャブが……あ、アレだ。

 「I love you. 」は、
 「月がきれいですね」と訳すのが、日本人的。

 夏目漱石発、とされる逸話。実際は出所不明の話らしいですが、多くのひとの琴線にふれるものがあるからこそ、漱石が言った、ということでひろまったんでしょうね。
 だけど私は、なんで、アイシテル、が月の話題になるのか、とにかくキツネにつままれっぱなしで、いまだによくわかってません。この理解できなさを、これまでは「行間が読めてないから」と理解してました。
 が、ちがう。私が行間が読めないからじゃない、

 話の展開が急すぎる、からだ!

 この急さを、4コマ漫画で例えるならこうです。

 1コマ目  空白。
 2コマ目  空白。
 3コマ目  「月がきれいですね」というセリフ。
 背景には、夜とおぼしき薄墨色と、満月とおぼしき白い円。
 それから、男性とおぼしき棒人間と、女性とおぼしき棒人間。
 4コマ目  空白。


 ね。こんなふうに3コマ目の登場が急なんです。ていうか、「月がきれいですね」のひと言が3コマ目にあたるのかどうか、っていうのすら、読者である私の推測です。
 「月がきれいですね」が、「I love you. 」の意味を帯びるために、両者の間で接着剤となるような情報は、このエピソードにはみあたりません。登場するふたりの恋愛感情の進展具合すら、読者の想像にゆだねられています。
 だけど、それはそうですよね。もともとは英語の授業での漱石と学生との間のやりとり、とされているのですから。

 では、こんどはこれを援用して、自分が書いた文章を4コマ漫画になおしてみて、どこにどう急さを感じているのか、考えてみます。

 1コマ目  ティーポットにお湯を注ぐ(そばに茶葉の缶)。
 2コマ目  ポットのかたわらで、砂時計をひっくり返す。
 3コマ目  空白。
 4コマ目  夏休みが終わることと、夕焼けがきれいなこと。

 こうやってみると……たしかに展開が急です。3コマ目の空白で、話題が完全に分断されています。
 にもかかわらず、私がなんとなくではあれ、こう書きたくなったのには、わけがあるはずです。「湯を注ぎ、蓋をし、砂時計の砂が落ちきるのを待つ」ことが、「夏休みもあと数日で、きょうの夕焼けは奇麗」なこととリンクするための、接着剤となる要素はなんだったのか。

 ① 「終わり」的要素……砂時計の砂が落ちきる、夏休みが数日で終わる(さらに、そろそろ夏も去る)、夕方なので一日が終わる
 ② 「色」的要素……紅茶も、夕焼けも、オレンジ色。夏の暑さもオレンジ色で表すことができる。
 ③ 「輝き」的要素……紅茶も、夕焼けも、光できらきらする。夏は四季のうちで最も活気にあふれている。夏休みもまたしかり。この文章では、茶葉も、上等のものを奮発している。

 おそらくは脳内では無意識のうちに、これら3つの要素で接着されていたのだとおもいます。あらためて考えてみると、この世界はコーヒーでは成立しなかった、紅茶でないといけなかったことがわかります。さらに、この日のお題は《言葉はいらない、ただ・・・》であったので、それに影響されて、3コマ目にあたる要素や情報を、すぽん、と抜こうと判断してしまった、とおもわれます。
 もし3コマ目を描くなら、ほとんど砂が落ちた砂時計と、きれいに色付いたガラス製の紅茶ポット、そのかたわらに、さりげなく日付つき時計を描き込むことで、日付と時刻を示す、でしょうか。

 だけど実際に自分の記憶にあるのは、「さすがに毎日、お題に対応する文章をつくるのに疲れた……もう、うまい言い回しなんか、考えられへん(泣)」です。
 自分は、「短く書けない、なぜか長くなる」というのが悩みでした。だけど、疲れたら自然に短くなる、だって、体力的に長く書けないから……というのは、ひとつの発見でした。

 こんどからは、疲れてるときは、文章を短く書き切る練習のチャンス!、と思うことにしときます。

 

・◇・◇・◇・ 

 

 くどくなってしまいました……
 5000文字をはるかにこえたので、今回はここまで。

 こんな感じで、われながら気に入った文章と、自己分析的なものを、つれづれに書いていきます。

 

 

#文章と自分のリハビリ #自己分析 #文章練習 #ひとりごと #エッセー #ショートショート


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五百蔵ぷぷぷッこ / 140字のもの書き / Espansiva の中の人
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。