矢口高雄先生へ……
矢口先生。
「釣りキチ三平」の、漫画ならではの描線やテクニックで写し取られた日本の自然は、手で触り、そのなかで呼吸できるほどにありありとして、現代日本の得た最高の風景画である、と私は思っています。
自然そのものとして釣りに興じる少年の目を通した山河の描画は、
なぜそこにその巌があり、
なぜその巌をそのように水は流れていくのか?
という、自然の運行の法則や流体を支配する物理法則までもが見えるようで、
ここでは流れに足をとられないように気をつけねばならない。
ならばあの石を足掛かりにしよう!
と本能がわくわくざわざわしだすほどに肌感覚まできっかりと、自然が自然として寸分の狂いなく紙上に再現されています。
その再現精度の高い描画は、デフォルメや奇抜な構図で江戸の民衆や世界の画家を魅了した北斎や広重を嫉妬に狂わせるものだとすら思っています。
山と川は矢口高雄
海と港は青柳裕介 私のなかではこの二人が双璧です。
・◇・◇・◇・
矢口先生。
私は、人間と自然とのつきあい方の基本は全部、「釣りキチ三平」で学びました。
持続可能性、という言葉すら、世間では共有されておらず、SDGs だなんてくくりもなかった時代に、全日本、全世界の釣りキチを国会前に集結させ、
もっと魚を釣りたい!!
とひとこと、この言葉で物語を締めくくった漫画家は、まさに時代の先駆です。
もっと魚を釣りたい!!
このひとことは、「釣りキチ三平」の最初のページから最後のページまで貫かれているテーマです。
いや、テーマですらない。三平くんと読者と作者との間でかわされていた、本能的な願いで、夢です。
このひとことは、どんな説明よりも雄弁に、自然なくして人類は存続し得ないことを、それは、生命体としてだけでなく「人間」としても存在できないのだ、ということを喝破しています。
・◇・◇・◇・
矢口先生。
先生が片田舎の農民の子として生まれ育ち、長じては釣りに明け暮れたことがすべて、「釣りキチ三平」の単行本の紙面に注ぎ込まれ、溢れていました。
私は地方都市に生まれ、リアルの自然と「釣りキチ三平」のなかの自然を往復して育ちました。若い頃は鮎キチだった父親の釣ってきた鮎を、三平くんと一緒に食べて育ちました。
いまでも。
山を歩けば三平くんがそこにいて、スーパーで買ってきてもやはり、魚を食べれば、三平くんがそこにいます。
そして。
私は私のやりかたで、「三平くん」というバトンを次世代に繋ぎたいと思います。
今日、先生の訃報に接して、いまだに涙が止まらずとまどっています。
悲しいとか残念だとかもあると同時に、なんて偉大な遺産を残してくれたのだろうと、胸打たれ、感謝の気持ちが止まりません。
あのときの「世紀のハンサムボーイ」も、すでに御年81歳だったのですね。
十分に長生きされたとわかっていても、同じ時代をもっと一緒に生きていたかった、生きていてほしかった、と思います。
ご冥福をお祈りします。
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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。