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サスティナブルに生きるってどういうことだろう

新品の靴一足分のお金をかけてお気に入りの靴を修理しました。

しかも修理完了するまで1ヶ月かかりました。

まさにお金も時間もかけました。修理に出しにお店に行き、また取りに行ったことを考えると手間もかかっていると言えます。(通常新品を買う場合は、店頭に行くのは1回でいい。)

そんなお金と時間と手間をかけて靴を修理した理由は、その靴はもう売っていなくて、これからも履き続けるには修理するしかなかったからという単純な理由でした。でも、そんな自分の行動にもう少し意味を持たせるためにちょっと考えてみました。

「これって、いわゆる”サスティナブルな活動”だった?」

エコとサスティナブル 視点の違い

ちょっと前まで「エコ」や「エコロジー」という言葉が使われていましたが、最近は「サスティナブル」に取って代わられたように思います。「自然環境を守る活動」を推進するのではなく、「持続可能な経済活動」を推進する流れになったと理解しています。

”どっち側から見るか”というだけのようですが、この差はかなり大きいことだと思います。

組織や人が存続するためには経済活動が絶対に必要であり、それと無関係の環境保護活動を永続的に持続させるのはあまり現実的ではありません。例えばゴミ拾いや植樹は何回かはすることはできても、ずっとやり続けるのは個人にとっても組織にとっても、とても難しいことです。(それを生業としている場合以外は。)

だから主軸を経済活動の方においた上で、「経済活動はするけど、自然環境やいろんなものを犠牲にしない形でね」というのを第一の優先事項とするようになった、というのが私の個人的な見解です。

別の言葉というか事業戦略系の分野でいうと、CSR(企業の社会的責任)の代わりにCSV(共有価値の創造)が提唱されたのも同じ流れだったと思います。(正しく言うと代わりに提唱された訳ではないけれど、CSR活動をやめてCSVという言葉を使い始めた企業もいくつかあったので。)

個人的にCSVの概念がとても好きだったのですが、ちょっと廃れてしまいました。今は「SDGs」がトレンドですね。

つくる責任、つかう責任

SDGsについて、私はぜんぜん詳しくなかったのでちょっと調べてみました。2015年の国連サミットで採択された大きな17の目標とそれを達成するための169のターゲットから構成されており、『2030年までに』と期限も明確に決められています。(全て数値目標に置き換えられていて、進捗状況を常にモニタリングできるように設計されていることもポイントだそう。すごいな。)

その大きな17の目標の中に「つくる責任、つかう責任」という項目があります。今回の私の「靴の修理」という活動はこの目標を達成するためのひとつになるのではないかと思いました。

つくる責任、つかう責任というフレーズはシンプルで分かりやすい、とてもよく考えられたものだと思います。生産する企業側の責任だけでなく、使用する一般消費者の”消費のしかた”にも責任を課しているのが、今まであまりなかったような気がします。

そのものの”最後”をどんな形にするかを想像する。何かを買うとき、そんな一手間を加えることが、サスティナブルに生きることに繋がるのかなと思います。

今回修理した靴の最後は

どこまで履いたら捨てるべきか。もちろんそれは明確に決められているものではないので、自分次第です。

お疲れ様でした、と思わず言う時が来たら手放すことになるのかな。また今年もたくさん履いて、また直して、そんなふうに楽しみたいです。

そしてそれが無理なくできるサスティナブルに生きるということになれば。

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