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『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』 映画感想

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区でイスラエルが入植地を作るため、パレスチナ人が住む住居をブルドーザーなどで破壊する様を記録したドキュメンタリー。

入植は国際法違反、和平交渉の2つの観点から問題、とのことだけれど、何よりこの映像を見れば驚きと憤りを禁じ得ない、というのが普通の感覚だろう。個人的にはバブル期の日本で、地上げ屋が立ち退きを拒否する家にダンプカーで突っ込んだ事件を思い出す。
(入植問題の参考URL

昨今のイスラエルによるガザ地区への空爆もそうだけれど、人が憎しみあうとどうにもならなくなり、解決の糸口すら見つからない気分になってしまう。

人である以上、共通の価値観はあるはず。米ニュースサイト「Democracy Now!」のインタビューで<あなたの共同監督はイスラエル人です。この映画でイスラエル人と仕事をしたことで批判を受けたことはありますか?>との質問に対し、パレスチナ人のバーセル・アドラー監督は次のように答えている。

<これまでのところ、イスラエル人と協力することについて批判は受けていません。私たちが協力しているのは、何らかの形で同じ価値観を共有しているからです。私たちは不正や占領、アパルトヘイト、そして現在起こっていることを拒否し、解決と正義のために働き、入植地などを終わらせ、より良い未来を目指したいと考えています。>(訳はGoogleの自動翻訳)

個人単位では協力し合えたり、助け合えたりしても、国単位となるとそれをできないのは、その国の多くの人が憎しみの克服、価値観の共有ができていないからかもしれない。

しかも、アメリカはユダヤ系ロビーが力を持つ(キリスト教の福音派もだけれど)が故にイスラエルを擁護し、問題をこじらせているように思える。他の国々は抜本解決するだけの力がなく、面倒ごとに巻き込まれたくないからか、対処療法的な支援にとどまる。

本作は<明らかな「イスラエル批判映画」>であるが故に米アカデミー賞でノミネートされている長編ドキュメンタリー部門を受賞できるかが注目されている(受賞、おめでとうございます)。

アカデミー賞の結果はともかく、一個人としての私は<2000年から2004年までエルサレムに駐在し、イスラエル・パレスチナの和平交渉や、紛争の現場を取材><その後もこの問題を追い続けてい>るNHKの鴨志田郷氏の考えにとても共感する。

<この問題は、世界でも類のない特殊な問題のようでいて、ものすごく普遍的なテーマが凝縮されている問題でもあります。

人が国を持つって何?何のために命がけで戦うの?とかですね。

理解するのは大変なんだけど、最後は、自分と家族を守るために人々はどう行動するかとか、身内を殺された時に人はどんな気持ちになるかとか。

1人1人が生きていくうえで、不条理な歴史や国際情勢と、どう折り合いをつけていくのか。取材を通じて、人々の苦しみをまざまざと見てきました。

もし、自分がホロコーストの生存者の子孫としてイスラエルに生まれていたらどうだろう。パレスチナのガザ地区で暮らしていたらどうだろう。

想像するのはすごく難しいかもしれないけど、考えることで学べることがたくさんあると思います。

遠くで起きている難しい問題として捉えるのではなく、人の一生とか、人間の普遍的な姿ということを考えた時の、根源的な問いをたくさん投げかける問題だと認識してほしいと思います。>

パレスチナ問題を解決するのはとても難しい。問題が解決しないから、世界に向けて実態を告発する映画は後を絶たない。しかも解決困難な問題はパレスチナ問題に限らない。

過去、こうした作品を初めて観た自分はまず自身の不明を恥じ、問題について調べ、これは自分が生きている間に解決できるようなことではないだろうなあと思う。そして、こういう作品を観続けることが自分のできるせめてものことかな、と思う。

それで観続けていくと、怖ろしいことに残酷シーンの刺激に慣れてくる。解決困難な問題は変わることなく、場合によっては悪化すらしているように思え、げんなりして、鑑賞のモチベーションが落ちていく。

だけどNHKの鴨志田氏が、こうした映画を観続ける意義を示してくれている。それは映画を通じて当事者の気持ちを知ることで、「もし自分が彼らの立場だったら」という難しい想像の手助けをしてくれることだろう。

そして人とは何か、人にとっての国とは何かといった根源的な問いに思いを巡らせ「果たして“理不尽”に抗う勇気をもっているだろうか」「柔軟な思考を放棄し、人として共有できる価値観をないがしろにするような思い込みに縛られていないだろうか」と自省する機会を与えくれることだろう、と思う。

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