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第三十二回:青年たちはなぜ歌を求めたのか
片岡義男『ドーナツを聴く』
Text & Photo:Yoshio Kataoka
ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。片岡義男が買って、撮って、考えた「ドーナツ盤(=7インチ・シングル)」との付き合いかた
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新譜としてレコード店に新たに投入された数多くのシングル盤は、新しい歌だった、と断言しておこう。まだ聴いたことのない旋律に、わかりやすさをきわめた例としての歌詞がついて、シングル盤の新譜となった。日本の青年たちは、日参、と言っていい頻度でレコード店へいき、ラジオ番組で放送されたことを唯一の手がかりとして、新しい歌はないものかと、夢中でシングル盤の在庫を点検した。
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この連載の前々回に、『シェーン』という西部劇映画のシングル盤が登場した。ヴィクター・ヤングが作曲した旋律の美しさを価値としたこのメロディーにも歌詞はあり、部分的にだが僕は歌える。遥かなる山の呼ぶ声、という部分がそのまま英語になっているのは、瞠目すべきことだった。
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日本の青年たちは、なぜあれほどまでに、歌を求めたのか。青年という言葉にはジェンダーがあり、この場合は男だ。日本の青年たちは、という部分は、日本の男たちは、と書きかえてもかまわない。
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彼らの日常は、日常語ですでに出来あがっていた。彼らにとって、日常をうまくこなすとは、日常語をなんの軋轢もないままに使いこなすことだった。日常の前方には就職して得られる会社の仕事があった。どの会社にも用語やものの言いかた、つまり語彙や文法があり、入社して三年もたつとその言語体系はほぼ完璧に身についており、そこで初めて一人前と評価された。あとはその会社言葉に磨きをかけていくだけの日々が待っていた。
こういう過酷な状況のなかで、日本の青年たちは、シングル盤に歌を求めた。歌とは、日本とはいっさいかかわらない言葉、のことだ。洋楽ならず日本語の歌でも、それは同じことだった。
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かたおか・よしお。作家、写真家。1960年代より活躍。
『スローなブギにしてくれ』『ぼくはプレスリーが大好き』『ロンサム・カウボーイ』『日本語の外へ』など著作多数。近著に短編小説集『これでいくほかないのよ』(亜紀書房)がある。 https://kataokayoshio.com