冀う_05/28
「 死のうかな 」
そう思うと死んだ後のことを考える時がある。
そして大切な人達が脳裏に浮かぶ。
つまり、思い残りがあるのだろう。
ぼくは強くなんかない。
よく『 芯がある 』『 強い 』『 格好良い 』『 意志がはっきりしてる 』『 堂々としてる 』等と褒められる。
『 ほんとー?嬉しい!ありがとっ! 』
にこっと笑い、こう返す。
直したくて気にしている少しなまりのある『 ありがとう 』と貼り付けた笑顔で返事をする。
…殺したい。
嫌いなんだ。こんな自分が。
『 死ぬ時は、独りじゃなくて、一緒に。 』
よく口にしているこの言葉。
相手が死ぬと決意をした時は、ぼくも死のう。
そう思って言い続けている。
独りで死ぬとなった場合。
死ぬこと自体に抵抗は無い、はず。
ただ、怖いと思ってしまう。
死んだ後、
ぼくの大切な人達はどうなってしまうのだろう。と。
なによりぼくは、意気地無しなんだ。
過去に犯した未遂の数々。
結局のところ、辞めたり、躊躇ったりした。
そして、生きることを選んでしまった。
怖気付いてしまう。
『 独りでは死ねない 』だなんて、とうに解っていた
『 誰かが 』死ぬのなら、
『 誰かと 』死ねるのなら、
ぼくも、この身を投げたい。
その『 誰か 』が誰でもいいわけでは勿論なくて。
その人を置いて、逝きたくない
その人に置いていかれて、生きたくない
きっとぼくは、 “ 情死 ” をしたいのだろう。
死ぬ時は一緒だよ、と誓って。
何があっても一緒、と誓って。
得手勝手なのは充分解っている。
わかっていても、望んでしまう。
微かな夢、とでもいうか。
冀うように、縋りたくなるのだ。
ニゲラの花言葉のように「 夢で逢えたら 」なんて
願ってしまう。
だが、死の先は夢なのか?と思ってしまう。
痛みを、死を乗り越えた先でなら、
綺麗な夢を
美しい夢を
幸せな夢を
見られるのだろうか。
それは少し違うんじゃないか、と思う。
よくわからないけれど、なんとなく。
生きているから、愛せるのではないか。
生きているから、好きだと思えるのではないか。
死んでしまえば、何も好きになれないのではないか
死んでしまえば、愛する人に会えなくなるのではないか
生き延びてしまえば、病み続ける。
生き延び続ければ、死にたくなる。
化学反応式のように連鎖するような気がする。
なにもかも。
生きた証なんてものも、存在しないのでは。
現実的なことを思い始めてしまえば本当に全て嫌になる。これもまた自傷だろう。
自滅、とでもいうか。
冀えば、報われる?
願い続ければ、叶う?
そんな優しい世界じゃない。
甘い世界じゃない。
死ぬなら独りで死ぬべきだったと後悔する。
一緒に、なんて。
ただの甘えだと思えてしまう。
そう感じてしまっても、独りでは死にたくなくて。
結局、生きてしまうんだ。
冀い縋り泣き叫ぶように。
生きてみたい、と思ってしまうんだ。
どうしようもなくばかだから。
救いようのないばかだから。
『 大切な人達と 』生きてみたい。
そう思い続けてしまうんだ。
自己満足だ。
自分勝手だ。
それでも
救いたくて
救われたくて
助けたくて
生きたくて。
逝きたいけど
生きてみたくて。
きっとぼくはこの先も矛盾を抱えて生きていく
自分の意志で死のうとはせず
だらだらと生きていくのだろう。
『 大切な人達 』を理由にして。
冀い続け、求め続ける。
締まりの悪いこの文みたいに、
締まりの良くない人生を歩む。
それがわたしの
世界なんだろう。
_駄文.
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