「分かんない!」と言えたことを褒めてほしい
小学生の頃、「勉強しろ」とよく父に言われた。
部屋にこもっていれば、勉強している風に見えるので、部屋で机に向かってマンガを読んでいた。
かと言って、勉強を教えてくれる父ではない。「勉強は学校で教わるものだ。学校で聞け」。
学期ごとに来る通知表が嫌でたまらなかった。当時は3学期制。体育は「たいへんよくできます」。でもあとは「できます」か、「がんばりましょう」。休み時間は ボールを持って飛び出す女の子。通知表を見た時の父の表情で、夏休みが地獄となる。
算数に至っては、小3が鬼門となる。理由は速さ、単位など、抽象的な問題が出るようになり、もれずに私はつまずいた。
1リットルは何ml??何デシリットル??
速さ=距離÷時間
今も嫌い。
結局、分からないままやり過ごし、隠しごまかしその学年を終えた。単元が変わるたびに「次こそは」とがんばるが、同じことの繰り返し。
「分からない」が言えなかった。恥ずかしかった。怖かった。どんどん授業が進んでいくので、みんな「分かってるんだろう」と思うと益々言えなかった。
ちょっとからかわれがちな男の子。その子も分かっている感じだった。分かっていないのは自分だけ。周りのまねっこをして分かったふりしてごまかす。「あーうっかり間違えた」と言い訳して隠す。
「早く終わってくれ」しか思えない。
「勉強できないのに、なぜか人望はあるんだよね~」「案外勉強できないよね~」。年度の最初の面談でたいてい言われた。
「分からない」と言えれば十分
先生はよく「分からない人手をあげて」「質問がある人は手をあげて」という。分からないと言えた人だけ集めて教えてくれる丁寧な先生もいるだろう。
でも、分からないことを「分からない」と言えるのは能力。
どこが分からないか分かっているから質問ができる。お勉強が苦手な子からすると「どこが分からないか分からない」「分からないのは全部」。
「わかんないです」と褒めてくれる先生や大人はいない。
出来ているように「取り繕う」「隠す」「ごまかす」「やりすごす」が始まる。周りに何か言われるのではないかとひた隠し。そして苦しくなる。
「分からないと自分で言えること」「できないと言えること」は、自分の弱いところを見せられる強さである。
そして、弱いところを見せてもよいと思える関係性がないと言えない。
いや、関係性がいいからこそ弱い自分を見せたくないとも思ったり。
「わかんない!」そんなSOSが出せた時は、「よく言えた!」とまずは認めてほしい。褒めてほしい。
苦手をまずは受け止めてほしい。
「取り繕う」「隠す」「ごまかす」「やりすごす」が少なく、自分の気持ちを素直に表現できる、そんな学校と出会いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?