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スクラップ&ビルドと趣味



ショッピングモールのスクラップ&ビルドが私に問いかけるもの

皆さんは、お住まいの地域にはショッピングモールはありますか?
近年、多くのショッピングモールでは、自社のプライベートブランド(PB)商品を縮小し、ユニクロなどの有名ブランドを誘致するテナント誘致が進んでいます。これは経済合理性という観点では一見プラスに見える反面、裏側に潜む、元々そこで働いていた人たちの気持ちを想像してしまう。

私の家の近くにあるショッピングモールもPB商品の販売を大幅に縮小しました。この変化は、事業者にとってテナント収入の増加、生活者にとって選択肢の増加、そして街全体にとって地価上昇という、一見ポジティブな結果をもたらす。

しかし、この変化の裏側には、PB商品の開発・販売に携わっていた人々、現場に立ち続けて毎日接客していた人たちの喪失感という影を感じる。私自身も仕事で事業撤退を経験したことがあるため、その苦しみを知っている。
事業の存続のために夜も眠れない日々、休暇も返上してヒントを探し続けたこと、それでも勝てなかったこと、多くの人から「変えた方がいい」と言われても「まだやれる」と信じ続けたこと、色々な気持ちの整理に時間がかかる。

そんな沈む船に乗っているような状況で、人前に出ると「自分は何者なのかということに自信が持てなくなる」勉強しても、なかなかすぐに成果が出ない。そんな状況に置かれた人々の無力感と絶望感を感じたんじゃないか、ということ想像します。

スクラップ&ビルドは、社会に光と、個人の喪失感という影を同時に持ち合わせていると思う。この二つの側面をどのように捉え、向き合っていくべきか。そこに取り残された人達はどうしたらいいのか。を考えた。

まずキャリアに悩む

取り残された人たちはまずキャリアに悩む。
組織の中で評価されようとする時のキャリアの作り方には3タイプあると言われている。登山型・航海型・組織型。

登山型は、目標を定め、計画的に努力を重ねて頂点をを目指すタイプ。明確なキャリアビジョンを持ち、それに沿ってスキルアップや経験を積み重ねていく。多くのビジネスパーソンは山登りを生業としている。

航海型は、変化を受け入れながら、柔軟に道を切り開いていくタイプ。明確な目標を持たずに、好奇心や冒険心を原動力に様々な経験を積んでいく。例えば、起業家、転職する、新規事業を起こす等。

組織型は、組織の中で力を発揮し、チームワークを重視しながらキャリアを築いていくタイプ。協調性やコミュニケーション能力に優れ、組織に貢献することで自身の成長を目指します。大概のサラリーマンはこのタイプだ。

自分自身、登山型×組織型タイプだった。おそらく、一般企業のサラリーマンの多くはこれに該当する。登る山を見つけて一生懸命登る。その結果、組織から「よく頑張った」と言われることが嬉しかった。しかし、事業撤退という局面に差し掛かると自分の目の前に登る山がなくと突然真っ暗になる。

さてどうしたものか。。
組織からは「お客様からクレームがないように撤退するように」としか言われない。色々残務(在庫整理、終了をお客様へのご案内、諸々の社内手続き等。)をやる。しかし、やる気が起きない。自分が積み上げてきたものが崩れていく。それはある種、自分が培ってきたものを否定された気持ちになる。

そして撤退作業の終了に差し掛かってくると、メンバーが少しづつ別の部署に異動していく。上司から「次、何やりたい?」という質問をされる。それには(俺には別に決定権はないが、一応聞いておく)「次、何やりたい?」という意味で、特に深い意味はないのだけれども、その一言はすごく重い。これからは自分はどうなるのだろうか。会社の人事がどうだろうが、次にどんな仕事をするだとか、どんな評価や結果になりそうだとか、会社にいながら色々推測する「もんもん」とした時期を過ごしているのではないだろうか。

自分は「どこで間違ったのだろうか?」

ここまで組織に尽くした結果、なんでこんなやりがいもなく将来を不安になるような状況に追い込まれないといけないのか。
自分の人生のどこで間違ったのだろうか。といった問いを自分にしたくなる。
航海型になって転職してやろうか。しかし、新しいことにチャレンジしろというが簡単ではない。自分はまだ何も成し遂げたわけではないから、他者に自信を持って話をできるレベルではない。
いっそ会社をやめてやろうか、しかし、子供もいる。住宅ローンもある。

悩むのはやめて趣味に没頭する

そんな方に勧めたいのが、、、、「趣味!」だ。

ここでいう趣味は例えばお金をたくさん使って旅行に行く、スマホを見ながら非生産的な事をやり続けるという事ではない。「何かつくる」を通して自己との対話をすることだ。この考え方を与えてくれたのは、谷川嘉浩さんの著書「スマホ時代の哲学」という書籍で趣味の定義について以下のように書かれている。

趣味とは
- 何かを作ったり、育てたりする活動に限定されている。
- その趣味は社会生活とは切り離されたもの。
- 他人が評価するものではない。
- 自分なりに試行錯誤するものでないといけない。
- 例えば、ピアノを弾く時、何度も良いと思えるものを作ろうとするように「反復」がある。自分がいいな、と思うまで「反復練習」する。
- その反復の過程において、自己対話が生まれる。一人の中に2人いる状態を作れる。

谷川嘉浩「スマホ時代の哲学」

この考えをベースに自分のペースを守りながらできない事を試してみようと思った。

「何かつくる」といっても、できる範囲は何だろう?思ったのは、日常の行動から別の意味を見出す「ちょい足し」ということだ。今やっていることに「ちょい足し」で何か相手に差し出してみる。例えば、料理をただ「ハイ」と出すのではなく、家族でハマっているスラムダンクにちなんで「スラムダンク定食」と名付けて子供出してみる事だ。

自分一人ではしんどいので、最小人数に留める。家族か友人1人くらい。それで自分以外の人が幸せになってくれたりするとちょっと嬉しい。

そのくらいの単位から「日常の行動」から「別の意味」を見出す「ちょい足し」という趣味をしている。「ちょい足し」のレベルもそこまで高くなくて良い。一般的な行動に「そこでしかウケない内輪の話題をちょい足し」することだ。子供との間の会話を楽しめる立派な趣味だと思う。

そのためには、アウトプットが必要なる。
頭を使う。工夫が必要になる。観察が必要になる。
本を読んでインプットして、ライティングして、音声配信する。

海外旅行とか。
サーフィンとか。
ゴルフとか。
ドライブとか。

そんな非日常的な体験をしてぶっ飛んだエピソードはなくても良い。
日常的な見方を変えれば何とでもなる、、、ような気がする。憧れるのはやめましょう。(by大谷翔平)

*もしこの記事を読まれている方で石川県能登地方を震源とする地震により被害を受けられた方がいたら、心よりお見舞い申し上げます。
 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に心からお悔やみを申し上げます。また、被災地域の一日も早い復興をお祈りいたします。

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