孤独と影と美意識
説明がつかない2枚の写真
デザイン思考の授業で「偏愛コラージュ」を作成するという講義があった。自分が好きな写真や絵を10枚集めてきて、コラージュ作品を作るというもの。素材の画像は自分のスマホデータでもいいし、ネットで拾ったものでも構わない。
気に入った写真をA3サイズのスケッチブックに並べて貼り、それぞれの写真に「好きになった理由」と「好きな要素」を短いキーワードにして書き込む。そうしてたくさん並べて見ると「自分は意外にこういうのが好きなんだなあ」というような共通パターンが見えてくる、という内容だ。
この中で自分は女性が道端で雨の中の暗い中で寝ている写真と、お茶の白い湯気だけが漆黒の中立っている写真を選んだ。
しかし、なぜ自分がこの写真2枚に美意識を感じるのか?なぜ好きになったのか要素が答えられなかった。
あえていうならば「お茶の写真であれば、暗闇から湯気が立ち込めている」「女性が雨の中倒れている写真であれば、女性は雨の中でも上を向いている
」といった点だ。しかし、ここになぜ自分は美意識を感じるのか探究したくなった。
日本の伝統美と陰翳
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んだ。日本の伝統美について語った随筆で美という概念が日常生活から派生し、特に陰翳という要素が日本の美の源であると指摘されていた。
谷崎は、暗い部屋に住む日本の先祖たちが、その環境を生かして陰翳を利用するようになったと論じている。日本座敷の美は、陰翳の濃淡によって形作られており、それ以外の要素はほとんど存在しないと述べている。また、西洋人が日本座敷を見て驚く理由についても「彼らが日本の座敷を簡素で何の装飾もないと感じるのは、西洋の文化では、明るさや華やかさが美の基準とされることが多く、陰翳の重要性に気付かないためだ」と主張している。一方、日本の美は常に暗い部屋や陰翳から生まれ、そこに独自の価値があるとも語っている。
ここから、影は我々の「ものの見方」の中で重要な役割を果たしていることが理解できた。人類は影に対する認識によって根本的に条件づけされてきたことがわかる。暗いものに対し、私が美意識を感じるのは日本人としてのDNAも関係するのだろうか?確かに昔の映画、例えば小津安二郎の「東京物語」の生活は明かりがなく真っ暗であり、その中にうっすらと白い光り輝くことに美しさを感じたことを思い出した。
谷崎はこう続ける。
谷崎はここで、日本人の思想の中の影について指摘する。影に対する認識は、人間の価値観にまで影響していると。それだけ影の存在はある種の「思い込み」を誘う存在であることだ。逆に考えると、影は自分のたちの暮らしや生活の正解を決めていたりする、ということだろうか。
影に対する思い込みが自分に付き纏っており、それが何かを誘発していることを理解できた。
夢中になる姿は孤独がつきまとう
この冬、受験生向けにカロリーメイトのCMが公開された。
美術大学を目指す受験生と理系学部を目指す受験生の友情を描くCMだ。その中のキャッチコピーが以下の通りだ。
「消しゴムは、光を与える道具。光も、影も、栄養にして。」
バランス栄養食 カロリーメイト
このCMは、同級生と切磋琢磨し合い、励まし合いながら「光」を求めて進む物語。CMストーリーの解説には以下のような記載がある。
ここでは影を「光を作り出す道具」として語られている。この見方自体、自分自身すごく発見はあった。CM自体も素晴らしいものだと思った。
しかしながら、自分がこのCMで一番感動した、美しいと感じたのは「夢中になって努力する姿勢」だ。それは言い換えると、自分のなりたい未来に向かって、没頭しながら、努力を続ける姿。自分が、美意識を感じるのは、人が何かに夢中になっているとき、何かを夢中になって創り出そうしている時だと感じた。
アスリート出身の為末大の「熟達論」という書籍を読んだ。この書籍の中で、夢中になるとことと孤独の関連性を裏付けるこんな一説がある。
人が夢中に何かに励んでいる姿は孤独が付きまとう。それがなければ熟達はないと書いている。
陰翳礼讃、カロリーメイトのCM、熟達論の一説から、自分はなぜ、冒頭紹介した暗闇の写真2枚に美意識を見出したのか、頭でつながった感覚が出てきた。
暗闇の写真から、私の脳内では「CMでの受験生は1人ひとり自宅でもくもくと勉強しているような姿、孤独に何かに励んでいる姿」が勝手に想起された。
そう、影は思い込みを誘う存在だ。
つまり、自分の「影に対する思い込み」が「何かに夢中になること」と重なり、暗闇をみると「何か取り組む姿勢に夢中になっている姿」のイメージが誘発され、写真から美意識を感じたことに繋がった。
僅かな希望を信じる姿勢
また、説明がつかない2枚の写真の中で気になっていた箇所はいずれも「暗闇の中にうっすらとした光」が見えている点だ。
暗闇は、ある種の絶望も感じる。
だが、暗闇の中にもうっすらとした光があり、その光は僅かな希望は見えるかもしれない。
その僅かな希望を信じる姿勢にこそ美しさを感じたのかもしれない。
これまで様々なアーティストや画家が、自然界の影から想像を膨らませた。それは影は常に光と相反しつつ互い対になる、つまり陰と陽だ。影の微妙なニュアンスを感じながら生きることは、この世界に僅かな希望を見出しながら生きることかも知れない。
以上
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