孤独と人の話。
関西は緊急事態宣言が解除されたもののひとまず5月末までは絶賛自粛を貫くことを決めた私ですが(とか言いながらあと1週間しかない、なんてこった)お家での時間を自分なりに楽しみつつもなんだかいろんな考え事をしてしまう今日この頃です。
ちなみに私のお家時間は映画や音楽と粘土、画像加工の内職や編み物やお料理。まさに現代版ラプンツェルです。たまに生活必需品を買いに行くお出かけ、専門店にしか売っていないようなパーツや材料はもっぱら通販に頼っているので家に宅配便やポスティングが来るたびに謎に家族にあれこれと咎められるプチストレスが募っています。放任主義だったらどれだけいい事か、ここまでくるとさすがに家を出てもいいかもしれないとまで考えてしまう昨今ですがそれはひとまず置いておいて。(ちなみに暇を持て余した挙句今日のnoteのバナーを作成しました。普段使っていないソフトを使ったので滅茶苦茶センスがなくて想像を絶するダサい仕上がりになったので朝ご飯の画像に差し替えました。笑)
昨日、親しかった方に不幸がありました。母親の親類に近いような関係の叔母さんが危篤状態からの死去。(ちなみに糖尿病でお年もあったので昨今のウィルスとは全く関係はありません。)幼い頃からお世話になっていた方でもあったのでさすがに顔も見れないままのお別れは嫌だと家族でお見送りに行くことになりました。前日から予定を決めていたのですが、当日の朝私の情緒が大暴れ、うつ病の最悪の症状、だるくて布団から起き上がれないという珍事が発生しどうしたもんかと頭を抱えながらなんとか気合で起き、すっぴんのまま喪服を装備、車でしこたま泣き散らして少し落ち着いて化粧をするという某KAT●TUNもびっくりのギリギリ加減でした。情緒がブルブル過ぎてもはや自分が怖い、人の死とか、今の状態とかですごく弱っているのかもしれないなあと他人事のように思った次第です。最近調子よかったのにこんな日になんて不幸だ、まあ不幸には間違いないんだけど、と意味の分からないことをぐるぐる考えながらとにかく着心地の悪い喪服に身を包んでぼーっと外を眺めていました。
スタンダードなお葬式的なものを想像していたのですが(親族はほとんどが仏教?かなんかなので)その方はキリスト教だったので形式がかなり異なっていました。(世間がこんな状況なのでなるべく簡易的な形をとったこともあると思いますが。)生まれて初めて絵にかいたようなシスターとお話をしました。(私はとっても空気が読めなかったので”シスターはその格好で電車とかタクシーに乗られるんですか?”などというトンチンカンな質問をしてしまったのですがこれはシスターのユニフォームだから私はそうしているわよ、最近は私服のシスターもいるから結構身近にもシスターいるかもね。と優しく教えてくださった上におしゃれなキャンディを下さりました。)優しくてきれいな声をした、とっても素敵な方でした。先日天使にラブソングをを観た後だったのでとってもタイムリー。全然関係ないけどお坊さんが優先席に座ってR18の雑誌を眺めているのを目撃したことがあります、煩悩って何。
さて、叔母さんをお見送り。眠っているような、安らかなほんわかしたお顔をしていました。私も含め人を動かす中心にいてとっても自由でアクティブな方だったので好きなように人生を生きたんだなあ、なんて思いながらお花を添えました。私が物心ついて一番初めに持った夢。"本を出したい”って叔母さんの影響だったんだよ。ありがとうね、見守ってくれたらうれしいな、って思いながら。叔母さんは絶対マンチカンかなんかの猫に転生していると思う、だってそんな人だったから。ああもうお話もできないのか、さみしいな、でも叔母さんはいろんな人に見守られて(細かくは言いませんが結構迷惑もかけて)それでも幸せに生き切ったんだなあと思った時間でした。キリスト教の様式に倣ってお見送りの方が順番に言葉を贈ってお歌を歌ってお見送りしました。これは初めての体験、とてもシンプルでしたが心がこもっていていいなと思った次第です。叔母さんありがとう、またね。
さて、話が変わるのですが叔母さんは生涯独身でした。恥ずかしながら(恥ずかしながら?)現在私も彼氏という存在がいません。猫を含めた家族と友人と、その他もろもろで構成された私の世界。充分じゃん、って思ったり思わなかったり、というか最近思わない。(猛烈に彼氏が欲しい!とか別に飢えているわけではないのですが)恋人っていうポジションってなんなんだろうと、友人とも同僚とも家族とも違う(いずれ家族になるかもしれんが)。一人で亡くなっていった叔母さんはきっと一人で生きていける人だったんだと思う、だけどそうじゃない生き方もある、自分じゃない誰かと出会って、深く関わる事は自分自身の世界を広げて豊かにしてくれる可能性があるんじゃないかとふと思ったりもするわけです。(その逆もしかりですが)今外に出ることがないので出会いというものがそりゃもういつも以上にないわけですが(いやいつも無に等しいんですが、悲しいことに!)誰か人と出会うこと、深く関わる事、関係性を築くことで広がる道は大いにあるんだろうなあと思ったりしたわけです。孤独って楽だけど猛烈にさみしくなる事もたまにあって、そんな時某金●八先生の"人という字は”のうんたらかんたらを思い出したりもするわけです。少なくとも自分が敬意を持っている人や好きな人に色々褒めてもらったらそりゃとても嬉しいわけで。(大概褒めてもらうと嬉しくて何でもするゲンキンなタイプの人間です)基本孤独、一人大好き!っていう人間だけどその反動でおしゃべりが爆発したりすることも人一倍多いわけで、誰かに会いたいなあとか何の気なしにご飯を食べに行ったりお茶に行けたりしていた3月末までをとても懐かしく思う日々でした。
一人でいることを選ぶことも誰かといることを選ぶのも、自分自身ですがどっちもどっち、ゆるく楽しくいきたいなあ、なんてぐだぐだのまとめになりました。
ご拝読いただき、ありがとうございました!
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