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ドキュメンタリー映画がもたらすもの⇨いただきます⇨1000人集まるオモロー授業⇨日本映画に海外の反応は?


オモロー仲間のFMおしゃべり番組!〜レギュラー出演も近い!?


FMラジオ番組「アテネの塩」に出る仲間に会いに遊びに行ったら、似たもの同志の友人がたくさん集まってスタジオはぎゅーぎゅー!そこにメンバーはなぜかみんな札幌オモロー授業発表会に居合わせた人たち。
教育に興味があるのは勿論、様々な活動の中心になる人だから、想いに溢れているわけです。

そこに、番組パーソナリティのお2人、YUUKIさん、彫繁さんが緩やかに巻き込んでいく心地よい展開に、ふみさん、ゆきねえが互いにかぶせあうスパイラル・トークにより笑いの連続、挿入曲のリクエストはBGMと化すほどでした。

その中に、(あれ?初めてだよなーでもどっかで見たことあったなあ〜)という方もいたのですが、番組が終わってから、”やっぱり!再会”だったことに気がつきました。(笑)

会場に100人もいれば、初めて会う一人一人と交流するのは難しく、
「ああ、あの時いらっしゃたんですね!ありがとうございます!」
と後からお礼をお伝えしたわけですが、たとえ直接話ができなかったとしても、その時間と空間を共有していたことで再開した途端にその距離はグーっと縮まる感じがするのです。

そんなことで、まあ、話の盛り上がること!熱い熱い、スタジオの扇風機は全開で回ってました。
その中で、いつもより控えめだったMikichiは、自分の仕事はしっかり伝えていらっしゃいました。

写真はそこで語られたドキュメンタリー映画上映の案内リーフレットでした。

2・21〜22映画「いただきます2〜ここは、発酵の楽園」札幌上映

2025年2・21(金)、22(土)札幌市民区民センター区民ホール
にて、「いただきます2〜ここは、発酵の楽園」が上映されます。
申込リンク

主催はYOYOSHA(やうやう舎)。⇨Facebookページ
昨年12月には、”ドン・キホーテ新琴似の男”という演劇?ミュージカル?はてまたお笑い?ちゃんぽん的なライブイベントを開催したハッピーでオモローな仲間たちが企画しています。(”ドン・キホーテ新琴似の男”についての評は、あくまで個人の見解による想像です。私、観てないので・・・、されど、”やうやう舎”ならではの観客を楽しませる演出と演者のサービス精神はステキです!)

「いただきます」は東川町の仲間が開催した上映会で観ました。先日参加した安平町の食農イベントでも上映されていました。
オオタヴィン監督の映画製作費は自主上映会が収入源で運営が成り立っています。上映会は、地域のNPO、ボランティア団体、PTAなどが主体となって支えているのです。当然、持ち出しも発生しますが、その手間暇を惜しまない人々の思いが共感を生み出し、実現したい社会の理念を共有することや活動を支援し合うコミュニティが生まれています。

私がやうやう舎メンバーと出会ったのも、映画上映がきっかけでした。
ただ映画をみて終わりにしたくない、何か自分にもできることがないかお手伝いをしたいと申し出たら、あれよあれよという間に様々な場でコラボレーションするプラスの循環が生まれました。

誰かのために何かしたいという思いは通じ合い、報恩の関係性が築かれていくのです。

平日夜に1000人が集まった理由〜オモロー授業オンライン発表会がもたらすムーブメント

1月16日、全国オモロー授業発表会のオンラインイベントが行われ、平日の夜にも関わらず1000人もの先生・保護者が参集されました。

私も途中から参加したのですが、全国津々浦々、
公立学校の現役の先生、教頭先生、校長先生、教育関連企業研究員など、公立学校教育を応援したいと考える様々な立場の人が自主的に実践発表された有意義なムーブメントに心が震えました。

自主制作された絵本の読み聞かせをされた先生もいらしゃいました。
参加者からは「涙が出ました」とたくさんのメッセージが書き込みが送られました。

閉会直後にグループラインに報告とお礼のメッセージが流れます。

勤務が終わった夜に、自主的に勉強会に参加する先生や保護者が1000人もいるということ、実践発表の内容が秀逸であるのは勿論ですが、
その会を運営する陰の立役者がいるという事実に、
参加者一人一人が感動していることが伝わってきました。

森に一粒の雫を垂らす鳥の行動の意味は?

実行委員長の坊ちゃんが読み聞かせた本の一節には、
山火事になった森に一粒の雫を垂らす鳥が出てきます。

「そんなことをして一体何になるんだ」
と動物たちは懐疑的な目で見ていたのですが、

「自分にできることをやっている」
という鳥の言葉で、動物たちは森へ向かい火事が広がらぬように土を掘り溝をつくるという結末。

聞いていた参加者は何を思ったのでしょうか。

「私もその一人だ」
と思いかえすと同時に、
「自分がやりたいことをやる」
だから3.22恵庭オモロー授業発表会の開催をサポートする確固たる情熱が沸々と湧いてくるのを感じました。

全国の仲間の教育への愛あるエネルギーの雫が、次第に水の流れとなり、大河となって海へと向かっていく。
それは、「森は海の恋人」の話のように、山の栄養を海へ運び、海の生物に豊富な恵をもたらしていく「栄養の循環」を生み出す如く、自然の摂理となっていく未来を予見させます。

日本の教育の充実に繋がり、
学びの主体者である子供が「勉強するのは楽しい」という実感を抱き、
社会に活力をもたらす動きを創り出すドラマが次々と生まれていきます。

「AからBへ」の話

リクエストにあった「AからBへ」の話。
AをBにかえるのは反動も大きく、一気に変えようとすると、結局あまり変わりない。

それよりも、Aの中に小さなBが一つ生まれること。
小さなBが次々と生まれていくと、
気がついたら「これってBじゃね?」
となっている状態。

これがオモロー授業発表会をやっていくことの意義だろうという結びでした。

自分にできる”一雫”を生み出すまで

「いだだきます」の上映会も「一雫」に過ぎないものかもしれません。

でも、僕は仲間と共に「自由な学校」の自主上映という「一滴」をもたらすことができました。

やうやう舎と「夢みる校長先生」上映でコラボしたのも「一粒の水滴」です。

いろいろな「水滴」を一つ、一つと落としていく行動が、
山火事を防ぐ動物たちの行動につながったように、

全国35万人いる学校に行かない選択をしている子どもや、もがき足掻いて苦しい思いをしている子供たちが、次の行動を起こすための「水の流れ」を創り出していく。

それが自分にできる務めだと私は考えています。

現場にいる先生、外から教育を支えている人、退職した人、それぞれ立場は違っても、子供たちを支えたいという思いは同じだと思います。

なぜなら、子供たちが私たちの未来を作っていくのだから。

副実行委員長の挨拶で「一円融合」という二宮尊徳の言葉が熱く語られました。
日本中の小学校のグラウンドに置かれた尊徳の銅像がある意味。
私には公教育の道標だったように思うのです。

たとえ勉強ができなくても友達と遊ぶ中でたくさんの学びがある。
学校という場は多くを知るための勉強、知識・技能をつけることだけが大切なのではないということを今、学習指導要領という文書で国民に知らされることが実現できている国、それが日本です。これは素敵なことだと私は思うのです。なぜなら、そうではなかった時代があったからです。

三浦綾子『銃口』から教育文化の源流を辿る〜そもそも学級通信とは?

日本講演新聞の1月13日号、北海道旭川の三浦綾子記念文学館特別研究員・森下辰衛さんの特集記事、三浦綾子さんの作品『銃口』の解説をご覧ください。その中に生活綴り方教育を実践した教師が出てきます。

私が教師となった頃、まだこの教育文化の流れを知っている現場の先輩がいらっしゃいました。今、「学級通信」が今の学校にあるのは、この時代の系譜、教育文化の伝承だと私は思っています。
元は、単なる時間割の連絡ツールとか、学校の様子を知らせるとか、保護者の理解を得るとか、そういうものじゃないのです。

子供が「人間として生きる」ことを教師が願い、日常の生活文を書き綴ることで子供に人として生きる力を育んでいくというものと私は解釈しています。

働き方改革で学級通信をなくした学校があると聞きますが、そもそも「お便り」は手紙と同じで相手へのサービスなので、変な規則でそれを縛るのもどうかと思います。他のクラスとの足並みを揃えてとか、やれと強制するものでもありません。

大切なのは目的です。何のためにやるのかを明確にもつ先生にとって、子供に育むものの一つとして、確固たる教育理念と共に子供の心に響いて人間形成に関与するものならば、毎日、子供の事実を書き続けるくらいに徹底してやることで大きな教育の影響をもたらすものになるのです。

このような骨太な実践をする若き実践家が2020年を過ぎた今もいるのです。
渡辺道治氏がその一人です。今は「教え方の学校」を主催し、現場の教師を支える活動をしていて、本屋には数多くの著書が並んでいます。

これから教師を目指す学生や若い先生方には、ぜひ手元に置いて実践を真似してほしいです。

教育は落語などの芸事と同じで、真似してみることが上達への王道です。
自分なりの方法というのは、できるようになってから自然と生まれてきます。むしろ自分のやり方は捨てて、さまざまな先人の真似してみて子供の実態にピタッと会うものが見つかった時、それは「自分にできること」となって、子供に変容をもたらす「一滴」を生み出すもとになるのです。

フィンランドでロングランヒットとなった映画「小学校〜それは小さな社会」

日本の教育文化の一端を垣間見る映画です。まあ普通は有り得ないと思う場面もありますが、至って普通の公立学校が舞台になっています。山崎エマ監督は自分が受けてきた教育が海外で生活して当たり前ではなかったことに気づき、日本の教育への興味から徹底取材を続け映画にしたものです。

これを許可した校長の裁量は大変立派だと私は思います。
なぜなら、いわゆる「同調圧力」というものが教育業界にもあり、一校だけが飛び抜けていいのかという声が出たりするのです。
けれど、法律違反でなければ、校長の権限で様々なことが自由裁量として許されています。
例えば、コロナ禍でマスクをしないくて良いことを判断した校長先生がいらっしゃいました。その人は「夢見る校長先生」の中で当時の状況を語っています。
殆どは文書を読めば判断できるのですが、不勉強のために機会を逃してしまう、予算がないから諦めるとか、忖度してしまうとか、そうしたことで子供が学びの充実の機会や出会いが閉ざされてしまう状況は少なからずあるのです。

いずれにせよ、日本の教育は課題はあれど、世界に注目される価値あるものとして評価されているという現状を知っておくことは、教育者にとって必要なことだと思います。

学校・子供の学びの場を舞台にしたドキュメンタリーには一度出会っていただきたいなと願っています。










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