自分の言葉でまとめる習慣づけをする
4カ国のゲストティーチャーが一同に介してグループワークをするGlobe授業を参観。
3年間、文科省の研究開発指定を受け、1〜6年生まで年35時間の実践の積み上げは子供に浸透しているのを肌で感じました。
国際交流と異文化理解という点で授業カリキュラムは整備されているのですが、
探究的な学びとしては構成の弱さがあります。
単なる異文化交流では終わってはいけない。
教師が課題を示し今日は何をやったかを確認するだけの単線型だと、
総合的な学習の時間の本筋から離れている。
大人が学ぶ内容を用意するのではなく、
子供が本当に学びたいことを突っ込んで学ぶ時間を創ることが必要です。
昔で言えば有田和正先生の実践で「追求の鬼」が育つ授業、教室を立ち歩いている子が激論を交わしている様子、椅子に座ってきちんとしてなくても学びが続いている、そういう活気に満ちた授業イメージを描いてほしい。
なぜそこまで熱中するのか。家に帰ってからも調べてくる反転授業が展開し、知的思考が高まるのか。
それは教師が探究する姿勢を持ち続けているから。名人の先生とは圧倒的な力量の差があり、真似できないと思ってきました。
でも今は違います。情報端末を使って、目の向け方、調べる方向づけができれば、子供は勝手に動きだします。
先生がまとめてはいけません。
授業の振り返りで言うことを定めてはいけません。
「手放す」感覚をもつことが大切です。
1人で伝記を読んでいる子が、
「すごい!」と声をあげました。
「何が?」と受けると、
「40人で一緒に勉強している!」
どんな場面かはわかりませんが、閉じられた空間の教室でどんな授業が展開されていたのか思い浮かべ、興味を掻き立てられました。
対話によって、自分のものの見方が深まっていく、そういう「余白」のある時間を大切にしてほしいのです。
勤務校の教室は1学年10人以下、
Most likely succeed
に出てくるような学校ではありませんが、
1人1人の一つ一つを大切にできる環境ではあります。
余計なお節介評価するのはやめましょう。
大切なのは認めること、共感すること、
されば、子供は自分の向かいたい方へ動きだします。
探すやり方を一緒に考えてあげましょう。
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