【また感謝】自分の苦手意識を振り返り、実は隠れていた苦手を認める
私は、固有名詞を記憶するのが幼少期からとても苦手だ
例えば・・・モノや人の名前、単語など
聞いて1分もしないうちに思い出せないこともある
瞬時の記憶が苦手なのだ
人の名前でやらかした経験が少なくない
初めて会った人と、お互いの名前を知って
楽しくコミュニケーションしていたにも関わらず、
帰りぎわ、その人の名前を突然思い出せなくなり、
よそよそしい表現をしてしまった結果、
お相手が困惑したり、がっかりしてしまって
せっかくの出会いや人間関係が
疎遠になってしまうこともあった
私は、人の顔を記憶するのが、社会人になってから一層、苦手だ
初めて会う人の中で、印象に残った人はなんとか大丈夫だが
次回あっても名前と顔が一致しないことが少なくない
挨拶できなかったことで
相手に良くない印象を与えたり、誤解されてしまうこともあった
私は、日々の予定を記憶するのが、40代から全く、苦手だ
公私ともに、予定が決まった時点でメモしておかないと
半日経てば全く思い出せなくなった
そんな私の周りには、
・名前や顔や単語の記憶に優れている人ばかりだった
・私がこういう傾向があることを理解してくれる人が多かった
おかげでだいぶ助けられたのだが、
振り返ると・・・私は、
「助けてもらってありがとう」という感じ方をせず、
「周りが普通にできていることを何故できないのだろう」
「また迷惑かけたよ」と、感じる癖があった
人生半世紀を振り返ると、
こうして私は、勝手に・自然に
「苦手を克服!人生キャンペーン」
苦手を克服して人並みになれば
→周りの人と同じ人間性能になって迷惑かけない
を長年続けてきたのだった
このキャンペーンが長引いた背景には
・周囲が、苦手を克服しようとする姿勢をほめてくれた
(何かに努力する姿勢をほめてくれていただけなのに、
結果が変わることをほめられていると勘違いし続けた)
・周囲が、そこでない部分を見てくれていることに
アホなくらい気付けなかった
(周りは見ていて苦しかっただろう・・・)
今までず~っと、暖かく見守ってきてくれた妻や家族、
仕事ほか社会で関わった方々に対して
「お待たせしました!や~~~~~っとです~~~!」
「はっきり気づくことができましたよ~~」
へへへ(笑)と、
照れ笑いしながら感謝を申し上げます
私の場合は、
記憶が苦手だったというよりも
・自分の苦手を素直に降参(キャラ化)することが苦手
・感じ方のバリエーションを増やすことが苦手
・人に甘えることが苦手
だったのです
また一つ、感謝人間になれました
愛をありがとうございました
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