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自己最大のピンチ
幼少期からの過去を振り返る機会があり、いろんなことを思い出していました。印象に残っているエピソードは、ヒヤヒヤしたことですよね。
小学生になる前の私の家は、一軒家が同じ敷地内に2軒建つ貸家でした。隣家は何度か人が入れ替わりましたが、小学6年生と4年生の兄弟が引越してきた時がありました。
ある時、近くの池に、空気で膨らませる丸いプールを浮かべて、漕ぎ出しました。といっても、泳げたのは6年生の兄ちゃんだけで、うちの弟を含めた3人はプールの中にいただけです。
その兄ちゃんが足泳ぎをしながら丸いプールを押すのですが、なかなか思う方向に進めません。不安定で今にも沈没しそうなプールの中で、生きた心地がしなかったのを覚えています。
幸い無事に帰還しましたが、そのことは親にも誰にも言い出せませんでした。
面白いエピソードもあります。
こちらも5歳の時の思い出ですが、その頃は年齢を跨いで近所で遊んでいました。その日は私と同じ歳の友だち、その兄(小学2年)、うちの弟3歳と4人で遊んでいましたが、小学2年の兄さんが腕を骨折していて、接骨院に行く時間になりました。
バスで20分くらいの街中に接骨院があったのですが、離れがたくて、4人兄弟ということにしてバスに乗ったんです。子供料金10円のところ15円取られたと言っていましたが、なんとか4人で街まで行きました。接骨院の窓から中を見ると、包帯ぐるぐる巻きのおばちゃんとかがいて怖かったのを覚えています。
「最大のピンチ」となるとちょっと趣向が違います。高校1年の時にヤマハのロックバンドコンテストの予選に出場しました。
その時のバンドにはいつものボーカルが加わってくれず、私がギターボーカルで、ベース、ドラムス、女性のキーボードという編成でした。
私の地元にはデビュー前の世良公則がいて、前年にプログレで決勝出場した世良君たちは、この年はローリングストーンズをやっていました。
私たちはピンクフロイドのコピーとオリジナル曲(世良君を意識したやつ)の2曲で、ジュニア部門ではなくシニア部門に出場しました。コピー曲も1曲5分で終わらなかったからです。
その朝、ちょっと寝坊して、急いで出なければならなかったのですが、発生練習に少し歌ってから出掛けました。バンドの集合時間に遅刻し、キーボードの女の子に着て行ったシャツがダサいと言われました。かなりブルーでバンドメンバーに大切なことを伝え忘れたのです。
出番の30分前に集合するよう言われていたのですが、キーボードの女の子がいないんです。私は会場の外を探し回りました。彼女が「私のせいで出場出来なくなった」と自分を責めている姿が目に浮かび、消えて無くなりたくなりました。
ある喫茶店で大学生の知り合いとお茶してるところを見つけ連れ帰りました。出番は過ぎており最後に回されましたが、一応演奏はさせてもらえました。出来はご想像の通りです。自己最大のピンチでした。