学びには3種類ある。【学び研究】
なぜこの記事を書こうとしたか?
博士課程に進んで「学び」の研究をしていると、よく言われるのが
「学ぶのが好きなんだね〜」
「お勉強が好きなんだね〜」という言葉です。
たしかに学ぶのは好きなんですが、この学びといえば「お勉強」という構図には違和感を感じます。そういう面もありますが、実は、学びって1種類じゃないんですよね。
この記事は、学びの研究では学びをどう捉えているか? というものをご紹介します。
学びが好きな方、学びの研究ってどういう風に学びを捉えているんだろう? と思われる方や、教育に携わったり学びの場作りをされている方々に読んでもらえるといいなと思って書きます。
学び、と聞いて何を思い浮かべますか?
あなたは学び、と言われると何を思い浮かびますか?
ある人は学校での「勉強」を思い浮かべるかもしれません。あまりいい思い出がない方もいると思いますし、良い先生との出会いや面白かった授業を思い出せる方もいるでしょう。
一方で学校外での「学び」の機会を思い浮かべる方もいると思います。自分に影響を与えてくれた本や人との出会い、キツかったけど色々なことを教わった仕事や挑戦の機会。
そう、「学び」といってもその意味意義や解釈はとても多様ですし、多様であっていいと思います。
今日は僕が博士課程で「学び」の研究をする上で、拠り所にしている「学び」についての考え方※1(先行研究、ともいいます)をご紹介します。
2005年にPaavola & Hakkarainenというフィンランドの研究者は、発表した研究の中で「学び」を3つの種類に整理 ※2しました。
学びは「知識の獲得」だ。
最初の考え方は、学習を「知識を獲得するもの」と捉えるものです。
例えば、人の頭は空っぽの容器のようなもので、教育や学習によって中に多くの知識が水のように入るものだと考えられています。
つまり、知識は個人の頭の中に蓄積されていくものです。この考え方では、体系立てられた概念や知識が重視されます。
私たちの伝統的な教育観はこの考え方に基づき、学校教育では教科書に沿って教師が「適切に」生徒に知識を伝達し、生徒が「適切に」獲得することを重視します。
知識獲得では前提として、人間は合理的で論理的な存在であり、ロジックに基づいて物事を理解することが知性の本質だと考えられてきました。
学校教育を中心とした教育では今でもベーシックな考え方だと思います。
一方で、この考え方には課題もあります。例えば、よほど力のある先生でない限り、一人ひとりの子どもが置かれている状況や環境を配慮するには限界があります。学ぶ上での人の心や感情の動きも軽視されがちです。
また、与えられた知識を受け入れる(獲得する)ことに焦点が置かれ、新しい知識を生み出すことは主眼ではありません。
学びは「参加」だ。
次に、学習を「社会的実践への参加」と捉える考え方があります。そこでは共同体、コミュニティがとても重視されます。
人は社会やコミュニティに参加していく中で、その共同体の言葉、スキル、価値観などを身につけていきます。
知識は個人の頭の中ではなく、人々の活動の中に存在しており、体験を通じて習得されるものだと考えられています。
つまり、知ることよりも体験することが大切にされます。一般化された概念知識よりも、その場での実践知が大切にされます。
学校での学びよりも、社会の中で実際に活動に参加することで学ぶことが強調されます。
机に座って学んだことよりも一緒に場を共にすることでの学びが残っている人も多いかもしれません。僕も好きな考え方です。
ただし、この考え方にも課題はあります。既にある文化的実践に適応することは可能でも、その実践そのものを批判的に見直し、変革していくことは重視しません。
参加メタファを重要視しすぎることで、一般化可能な概念知識の重要性が過小評価される危険性もあります。
学びは「知識の創造(構築)」だ。
3つ目の考え方が、「知識創造(構築)※3」のメタファーです。これは学びを「協働して共に対象物を発展させていくプロセス」だと捉えるものです。
学習の中心は個人や共同体だけでなく、作業している「対象物」そのものに置かれます。
協働する上でコミュニティが必要になってくるので、2つ目の「参加」の捉え方とも関わってきます。
知識創造では様々な形の知識(概念知識、実践知、経験知)をうまく組み合わせながら、新しい知識やモノを協働で生み出していくことが重要になってきます。
課題を自ら設定し、仮説を立てて検証し、対象を発展させていくような創造的な活動が求められます。
知識創造の考え方は、既存の知識を受け入れたり、文化に参加するだけでなく、主体的に課題に取り組み、協働して新しいものをつくることを重視します。
これまで以上に正解がない世界で大切にされている、課題発見力や課題解決力、創造力を養うことができる考え方です。僕が学びの研究で拠り所にしたい考え方です。
一方で、「完璧な」メタファは存在しません。知識創造の課題を挙げるならば、専門知を活用しながら協働して新しいものを作るという考え方自体が、既存の学校教育(特に初等中等教育)からみるとハードルが高いことです。
ただし、知識構築の概念の提唱者である北米の研究者、カール・べライターとマリーン・スカダマリア(Bereiter & Scardamalia 1993)は、知識構築は皆に開かれていて、小学生でも可能だとしています。日本でも小学生を対象に知識構築のモデルを活用した実践研究が行われています。
3つの学びのメタファーが示すもの
それぞれの学びの捉え方は、「1つしかできない」ものではありません。
それぞれの違いを認識しながら、目指す場に合わせて効果的に学びのあり方を融合させることでより豊かな学びを実現できると僕自身は考えています。
ただ、これまでは知識の獲得が中心でしたが、現在は社会への参加を通じた実践知の習得が重視されるようになりました。
さらにAI時代の中で、人間らしい新しい知をつくる力が必要とされるようになってきたと感じます。
令和になり、豊かな学びのコミュニティや学びの場が全国で創られています。
学校の役割も、これまでの知識獲得中心の考え方からいよいよ変わらざるをえないのではないでしょうか。
従来の学びのスタイルを見直し、生徒自らが課題を発見し、協働しながら新しい知識を創造できるような学びの場を用意する必要があります。
教育・学びに携わる私たちも、自分たちも変化しながら新しい学びの場をつくっていきたいなと思います。
<今回の記事の参考文献です>
大島純. (2010). 知識創造実践のための 「知識構築共同体」 学習環境 (< 特集> 協調学習とネットワーク・コミュニティ). 日本教育工学会論文誌, 33(3), 197-208.
もし学びについてもっと知りたい方は、下記の本もおすすめです!
「学び」の認知科学事典