発達親子の生活(不登校・4)
どうも。アラフィフおばちゃんです。
息子が小2の終わりくらいに関西への転勤が決まりました。
環境が変わることへの不安と、関西は比較的障害に対してもオープンだという話を聞いていたので多少の期待を抱えての転勤そして転校でした。
まずは、引っ越しをしてから一週間ほどは小学校との話し合いなどもしたかったので、学校は休ませて配慮に関しての話し合いをしました。
息子の「行きたくない!」は幼稚園から始まって既に5年程。もう私も「不登校児の親」としてセミプロレベルですよ。
新しい学校へはこちらの要望の中でも、学校側でも「まぁ妥当だろうな」と思えそうなものだけを伝えて「息子が休みたいと言ったら休ませます。」と断言。
まぁ、特に問題なく週に一日は休むような感じの小学校生活を送りました。やはり最初は「関西弁」ではないことでからかわれたりとかありましたが、登下校をほぼ毎日一緒にしていたので、目を光らせてる怖いオカンが付いてるから手を出せなかったのかも(笑)
関西での学校生活で大変だったのは、中学受験への準備。中学校進学と同時に地元の私立中学校に進学させるつもりだったのですが、学校見学へ行くにも受験対策集もネットか地元に行った時しか買えない。飛行機代や新幹線代もバカにならない。
そもそも、息子を通わせる塾がない←対策してくれる塾がないので。
結局、小学校6年生の10月から自宅で問題集を使用して中学受験対策をするという・・・
とりあえず、息子が小学6年生の時に元夫が地元へ出張へ行ったついでにマイホームを購入してくるというびっくりなこともしたりで、どうにかこうにか地元に戻る準備を進めていきました。
受験期間はほぼ学校はお休みして地元に購入したマイホームで受験〜合格発表からの入学手続きなど1ヶ月近く学校をお休みさせたと思います。
関西の小学校の卒業式に合わせて、少しだけ戻った感じですね。
息子が感情のコントロールを少し出来るようになる前は「なにかされたら、ママに言いなさい。ママがきっちり相手を〆てあげるからね」と教えていましたが、感情のコントロールが出来るようになってきてからは「やられたらやり返しなさい。その代わり自分からは絶対に手は出しちゃだめだよ」と教えていました。
この育児方針には賛否両論あるとは思いますが、私はいじめっ子にはそれなりの制裁が必要だと思いますので、うちの息子を傷つけられたら同じだけの苦しみをそれが例え小学生相手であっても与えるつもりでした。
「子供の喧嘩に親が出てくるな」とか言う方もいますが、親が守らんかったら誰が守るんじゃい!
実際の痛みも心の痛みも全て、避けて通ることは出来ません。でもその後のケアで痛みを和らげることは出来ると思っています。
「自分には絶対に守ってくれる人がいる」私は息子にそう思われていたかったのです。
小学校までのお話はここまで。ほぼ精神論ばかりでしたね^^;
次は地元に戻り、中高一貫校でのエピソードを書きますね。ある意味この辺りが息子のメンタル的にはつらい日々だったと思います。
では、また・・・