発達親子の生活(不登校・3)
どうも。アラフィフおばちゃんです。
前回は、入学式の翌日から不登校になった話を書かせていただいたんですが・・・
あの「号泣しながら担任に教室まで引きずられて行った」息子の顔があの日以降何度もフラッシュバックしてしまい、立ち尽くすしか出来なかった自分のことを、15年以上経った今でも自分自身で許せていないんだなぁと強く感じました。
今の私だったら、うちの大事な息子を引きずりなんかしたら思いっきり引き離して論破して出るとこ出てますけどね。あの頃は「義務教育」という概念に囚われすぎていたんですよね。
ちなみに、これは完全なる私の超個人的な見解ですけど、息子を育てて大学卒業までどうにかさせましたけど、「教職」は「聖職」なんかではないです。
義務教育なんて大したこと学習しません。
習うのは「上に従う我慢強さ」「耐久力」「体力」「コミュニケーション方法」です。
勉強は親が教えれば充分です。敬語やマナーも親が教えられる範囲で教えれば教師なんて必要ありません。
つまり、泣きながら登校して嫌な思い出を作るくらいなら行かなくても良いんです(ただし、親がその責任を持つ覚悟は必要です)
我が家は当時転勤族だったこともあり、小学校だけは公立へ通わせましたがそれ以外は全て私立に通わせました。
本当は小学校も私立へ入れたかったのですが、周期的に卒業までに転勤がありそうだったこと、どこへ転勤するかは直前までわからないことから私立は諦めました。
不登校などの場合、出席日数に問題が生じたときに私立のほうが問題解決が早いという点が一番の理由です。
対応が柔軟な学校が比較的多いように思います。
そのためには相応の収入も必要になりますので、我が家は最初から一人っ子と決めていました。
さて、話が少々脱線しましたが息子が小学校に入学して最初に私がしたことは、学校の「図書ボランティア」になることでした。
私自身、本が好きですし図書館というあの空間も好きでしたので、月に一度くらいの頻度で「図書ボランティア」に行ってました。
その時は、息子も図書館へ行けばママがいるという安心感があったのか、保健室登校ではありましたが、登校していました。
私達は「小学校へ入学したら、こうあらねばならない」というどこかで刷り込まれた概念に囚われすぎなのではないでしょうか?
甘やかしていると感じる人もいるかも知れません。
でも、甘えられる人がいることは発達障害児を育てていくためには大切なことではないでしょうか。
誰にも頼ることも出来ず、その不安を抱えて過ごす気持ちが私には痛いほどよくわかるので(私自身も発達障害)、息子にだけはそんな思いはさせたくなかったですね。
親の顔色を伺いながら「学校を休みたい」と告げるときの胸の痛み、それを否定される辛さ。親から「甘えるな」と突き放される悲しさ。
毒親に育てられた私は自分と同じ気持ちを息子には絶対に味わわせたくなかったのです。
次は、転校後の話を書かせていただきますね。
あと、私は0か100かの極論で生きている人間ですので不登校でもどうにか通わせたいと思われる方は、お子さんと一緒にたくさん考えて答えを導き出せばきっとそれが正しいんだと思います。