#弓道011 神永 政吉
「弓道教本」第一巻には、射法選定委員として五先生の顔写真がある。
しかし、流派の個性を一切伏せている第一巻では、それら先生方の弓歴の情報すらないため一人ずつ紹介をする。
神永 政吉(かみなが まさきち) 1885年-1961年
明治十八年生。栃木県足利市出身。的宗と号した。弓道範士・十段、昭和三十六年病歿、享年七十六。明治三十八年頃より約三年間、宇都宮の星野忠徳氏につき日置流雪荷派の弓道を修め、のち本多利実翁に師事、ついで故阿波見鳳範士につき大射道教の修業をされた。
大正九年に大日本武徳会精錬証、昭和二年に弓道教士、四年に同範士を授与され、同十四年阿波範士が歿せられるや後をついで大射道教主となり、東北帝国大学第二高等学校の弓道師範をつとめられた。昭和十五年紀元二千六百年記念天覧武道に、特選演武者として範士中より選ばれ弓道天覧を賜うた。この間大正六、七年頃禅徳寺の和尚につき禅を修め、八雲神社の神職に従って禊の修行を積まれた。先生は壮年の頃鉄砲に凝られたが、因縁より結果が生ずるので、殺生の惨忍さに飜然として悟るところがあり、弓道に志されたとのことである。
なお的宗の号は師家妙心寺(京都)大眉老師より授けられた袈裟の文字「能射不中的、不中不外、是射道之妙宗也」からとられたものである。生前財団法人全日本弓道連盟顧問・審議会委員として功があった。
※主に「弓道教本」第二巻 五先生の弓歴 より引用
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