想像力のないところに責任は生じないのかもしれない
私には、これと決めている座右の銘はないのだけれど、あえて言うならば、30歳の頃に尊敬する上司から言われたこの言葉が、その一つとなる
「想像力のないところに責任は生じない」
私にとって、ちょうどいいタイミングでこの言葉に出会えたおかげで、聞いた瞬間に深く心に刻むことができた 仕事はもちろんのこと、日常的な生活においても、この言葉は私の生きる上での行動指針の1つになっている
これは「想像できないことには責任を感じることも出来ない」という文字通りの解釈である 仕事でミスをした時に、その原因は不注意だったり、技術不足だったりと指摘されることが多いと思うのだが、私はその上司に「想像力が足りてなかったことが問題」と指摘をされた
その仕事の影響を正しく想像できていたのであれば、不注意も技術不足も未然に防げたわけで、十分な想像力がないと、十分な責任が生じることもなく問題が生じる だから一番大切なのは想像力なのだ、といわれた
私はこの考え方がすごく気に入っている
そしてこれは人生のあらゆる場面に当てはめることができる
誰かに言葉を発するとき、その言葉に責任を持つためには、その言葉による影響力を最大限に想像しなければならない
子供を躾けるとき、車のハンドルを握るとき、近所付き合いや社会活動に至るまで、何にだって当てはまる
だから、無神経な人、ミスをする人、マナーの悪い人などに出会ったときに、私はその人を想像力の足りない人だと考えて、やれやれという気持ちになる それはある意味で残酷なことなのかもしれない
さて、この「想像力のないところに責任は生じないのかもしれない」という言葉の出典は何かというと、村上春樹の海辺のカフカなのである
高校生の時に初めてこの小説を読んだ時には、この言葉の存在に気を留めることはなかった、しかし先日改めて再読した時に、注意深くこの言葉の意味を考えた
これは、少年カフカが「アドルフ・アイヒマンの裁判について書かれた本」を読んだときに見つけた大島さんが描いたメモである
まず、この言葉の原文がウィリアム・バトラー・イェーツ(ノーベル文学賞受賞者)というアイルランドの詩人/作家の作中からの引用であることがわかる しかし「想像力のないところに責任は生じない」という言葉は直訳ではない、あくまで物語に登場する大島さんという知的なキャラクタの記した言葉であり、村上春樹の言葉である事を認識した
ちなみに、アドルフ・アイヒマン中佐とは、ナチス・ドイツでヒットラーの元でアウシュビッツ強制収容所にて、一千万人を超えるユダヤ人の効率的な大量殺戮計画を企てた技術者で、彼らにその責任の自覚がなかったことは、後の裁判で語られている
なお、A24の関心領域という映画がある まさにこの無自覚を表現した作品で、毎日ユダヤ人が大量に虐殺されてる収容所の隣家で、何不自由なく幸せな生活を送る一家(アイヒマンの部下であるヘム所長の家族)の物語である
この映画を視聴したこともあって、大島さんのメモに記された
「想像力のないところに責任は生じない」
という言葉の重みと心理とを改めて感じることができた
残りの人生においても、私の行動指針の一つして胸に刻んでおく