私のザネリ<2>
①理由があること
②正義があること
③さらに①と②を強固なものにするために敵の言動を見逃さないこと
④わが身を守れるものを必ず調達しておくこと
⑤仲間を増やすこと
こう列挙してみると、なんだかどこか冒険の旅のRPGのようで楽し気な感じさえしますが…。これらは何か?というと、いじめる側の法則というか、論理というか…ほとんど信仰に近いのではないかと私は考えています。まるで神聖な戒律であるかのように忠実に従い、もしも自分立場が危うくなりかけても、時としてぎりぎりまで…最後まですがりのつくこともあります。
『ザネリ』は『銀河鉄道の夜』の登場人物です。
まだ読んだことがないかた、予備知識がない、白紙の状態から読み始めたいかた。<ネタバレ注意>の喚起をしておきます。
ザネリはいじめっ子です。主人公のジョバンニをいじめます。
ジョバンニのお父さんは遠洋漁業の仕事をしていますが、北の方へ航海へ出たきり、なぜだか長い間帰って来ません。これが①です。
ジョバンニのお母さんは心労のあまり病気になってしまいます。ジョバンニは家計を助けるために、学校の後アルバイトをします。そのお金でパンを、たまに角砂糖を買います。心身ともに疲弊しています。
さらに、どういうわけか、お父さんは密漁をして投獄されたのだという噂が立ちます。これが②です。そんな悪い奴の子どもは罰を与えてやらなきゃ…と仲間はずれにされます。
③は「らっこの上着が来るよ」です。ジョバンニはザネリとその取り巻きからそうはやしたてられます。
人の急所に石をぶつけるような言葉です。
大人になってから『銀河鉄道の夜』を読み返して気づきました。そんな台詞を吐き出す、まだ幼い子どもなのに業の深いザネリの人物像に慄然としたのです。宮沢賢治という作家の凄まじさを垣間見たのかもしれません。
賢治の近くにそんな子がいたのか?幼い頃の級友か?教師をやっていた時の生徒だろうか?
お父さんは漁に出る前に約束しました。ジョバンニのおみやげにラッコの毛皮の上着を持ってくると。
なぜそれをみんなが知っているのか?
もちろんジョバンニ自身が漏らしたのでしょう。
まだ不安のなかった頃、もしかしたら少し自慢げに喋ったのかもしれません。
ザネリは執念深く憶えていて、攻撃の武器にするのです。
お父さんは噓つきだ。ジョバンニも噓つきだ。と。
ジョバンニはその言葉を言われるたびに、のしかかっているいくつもの困難をつきつけられることになるというのに。すべての元凶はお父さんが帰って来ないこと。そのシンボルのらっこの上着…。
何より自分の口から出た言葉が返って来るのです。いっそう辛い…。
④は、もし誰かに咎められた時…教師、大人たち…ひょっとして自分たち自身の良心…のためのものです。
ジョバンニが自分で言ったのだ。だから自分たちは悪くない。とか?
ここまで想像するのはうがちすぎでしょうが、「らっこの上着が来ないよ」ではなく「らっこのが上着来るよ」だということ。悪口じゃない。お父さんがもうすぐ帰って来るよと励ますためだ…うわあ。反吐が出る。…と言い逃れるため?
私はいじめっ子がとんでもない屁理屈をこねるのを経験上知っています。知りたくもなかったけれど。
⑤。以前はジョバンニといっしょに遊んでいた同級生たちが、ザネリに倣っています。幼なじみのカンパネルラまでが、ザネリとともにいるのです。
ひどいことを言わないけれど、とめてくれない。心配そうにしてるけれど、そばにいてくれない。
いつも感心するのです。いじめっ子の、この人を惹きつけて従わせる能力を。
言うまでもないことをですが、①から⑤までのことはうそ、いつわりのたぐいです。
そんなこと理由にならない。どこが正義だ。…こじつけ。いちゃもん。どこに筋があろうか。本来はりぼてのように脆いはずのものです。一蹴されて終わりの。
いじめっ子たちもわかってるでしょう。いや。ある程度の年齢になっても、こんなしょうもないことを信じているなら、心配してやらなくてはなりません。
けれどこれらのルールに則ったゲーム…はじめにRPGっぽいと言いましたが…の世界では、身近な誰かに…もしかしたら生涯の友になるかもしれない子に…どんなことをしても『遊び』で済ませられる、と思い込みたいのでしょう。
「そんなことは、いじめ加害者あるあるだ。ありふれてる。大概そうだろう」と思われたかた。まったくもって、その通りです。
私はありふれたことを語ってきました。
『私のザネリ』こと、Bさんもそうでしたから。
『私のザネリ<3>』で、Bさんと私の子どもの頃のことを書きたいと考えています。
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