#5 ローカルだから、カフェは面白い(3)
前回の#4 ローカルだから、カフェは面白い(2)から約4年が経過する間、続編の記事を書かないままに、この記事をもってカフェの話は終わりとなります。考えを文章にするという訓練が、ぜんぜん足りないと感じる今日この頃です…。
終わりの理由は、2024年3月31日(日)をもって、私が大事にしてきたカフェ「uchikawa六角堂」の経営を離れるからです。2013年1月22日にオープンしてから約11年が経ちました。東京に住んでいた時代に、まちづくりコンサルタントとして地方へ通い詰めた経験から、自分が地方でプレイヤーになるべき!と決意してはじめた「小さな点」。それから本当に、本当に、めちゃくちゃ長い11年間の戦いでした。
カフェは面白い!は今も変わらない。
私にとって「uchikawa六角堂」は地方のまちづくりの可能性を広げる挑戦でした。これからの100年を見越して、経済よりも文化のほうが大事な世の中になるべき、と表明する象徴の1つでした。そして、私にとって見知らぬ地である富山県で生きていくための希望でした。
ありがたいことに、自分の成長とちょうど同じスピード感でカフェへの注目度も高まってきたという実感があります。「uchikawa六角堂」は間違いなく、私を「人物」に変えてくれました。私の代名詞となる存在でした。東京から来た当時「何者でもない」人間を“富山のまちづくりに一石を投じた人”みたいな見方をしてくださる方が増えて、単に田舎の片隅にカフェが出来ただけの現象に留まることなく期待をしてくれたことは、続けてきた甲斐があったというものです。
だいぶ後になってから「明石さんが頑張るんだから、自分も場を持って富山を盛り上げようと思った」という事を直接伝えてくれる、お店のオーナーさん何人かの人とも出会い、本当に心が救われる思いでした。
いよいよ経営最後の日が来た。
経営から離れる日を迎えるまでは、その時が来たら、肩の荷が降りてホッとするのかなと想像していましたが、心は頭より正直でした。4月1日になってみると、朝から想像もしなかったほどの寂しさが込み上げてきて、制御不能な感情に陥っている自分に驚いています。明日花嫁になる娘を思う父親とは、きっとこんな心境なのではと考えてみたり。この猛烈な喪失感のような気持ちは何なんだ…。この気持ちは数日続きました。
カフェは、妻の会社「株式会社ワールドリー・デザイン」が事業を引き継いで経営をしてくれます。だから、これからも「uchikawa六角堂」はあり続けます。4月17日のリニューアルオープンの日まで、大変な準備をしている妻を見ていて、なんだか罪悪感を覚えました。重いものを背負わせてしまったと、後悔の念もありました。彼女はもともとお店屋さんがやりたいという夢を持っていたという話に若干は救われますが、それでも大変なことは大変です。この店を立ち上げた本人が思うのですから、間違いありません。
経営チェンジをあまり大々的に宣伝すると、閉店するみたいなイメージが広がってしまう恐れがあるため、直前までひっそりと事を進めてきました。おそらく、常連さんも世間の皆さんも、経営者が変わることにさほど驚きはなかったと思います。
私が経営をする最後の日、数時間を二階のひとり席で過ごしました。お客さんは、特別な日として来店して下さるよりも「六角堂に来た日が、たまたまその日だった」という方が多いような印象を受けました。それで良いのです。これからも続く店なのですから。
旨味のなかった11年間?
最後の日のその時間、今や人格を持った「uchikawa六角堂」へ、そしてこの空間へ、頑張ってくれたスタッフへ、この機会をくださった多くの人々に全身全霊からの感謝の気持ちを発しました。この地で11年間も続けることができたのは奇跡としか言いようがありません。オープンからの3年間、そしてコロナ禍の2020年から約3年余り、実に11年のうちの半分の期間はまともな利益がありませんでした。内川がいつか脚光を浴びるまで、「1軒のカフェがまちを変えた」と言われるまで、赤字覚悟で頑張ろうと続けてきました。
田舎で飲食店を経営した人しかわからないと思いますが、コロナ禍の経営は想像を絶する危機でした。特別融資や補助金などがあっても数か月の延命措置にしかなりません。その期間を生き延びて、やっと元通りになってきた思ったら、今度は2024年元旦に起こった能登半島地震です。発生から約2カ月間、ほとんどお客さんが戻ってきませんでしたから、2024年の4月まで、商売としてはまったく旨味を感じることなく「uchikawa六角堂」の経営から離れることになりました。そんな世間の影響もさることながら、私には飲食店を経営するセンスがないことも痛感しました。
オープンした経緯を記録しておく。
こんな人生の節目は、そう何度もやってくるわけではありません。せっかくの体験ですから「uchikawa六角堂をオープン」を振り返ってみたいと思います。
まず最初の出会いから。2010年の夏、妻の実家がある富山県に移住して、これからどこで何をしようかと企んでいた頃でした。富山県射水市の新湊地区を流れる内川沿いの漁師町の風景に出会い、そのときに覚えた「違和感」がこの町に関わるキッカケとなりました。
こんなに素敵な町なのに、観光客を相手にするようなお店が少ない。いや、ほぼない。地場の商店街はあれど、お洒落なカフェや雑貨屋など、歩いて楽しいまちづくりに貢献するような店がない。例えば、私の故郷の尾道がそうであるように、いかにもまち歩きが好きな人たちがお目当てにしそうな店がありそうな雰囲気が町に漂っているのですが…。そういう町の雰囲気と、ありそうな店がないというギャップ。実に不思議な感覚でした。
当時、あまりも不思議すぎて、この町にはよそ者排除の力が働いているのか、過去にチャレンジした人たちが地域に応援されずに去って行ったのか、など何かただならぬ事情があるのかもしれないと本気で思ったものです。
世の中的には地方のまちづくりが脚光を浴びつつあり、勇気ある開拓者たちが空き家をリノベしてカフェをするなんていうムーブメントが起きつつありました。こんな素敵なまちにお店がないなんて、逆に不自然でしょ、って思いました。内川の存在を知らないまま、この素敵な風景を見ないまま死んでしまうのは不幸だと、本気で思いました。
価値を知る責任感を覚える。
知らせない罪と、知らない不幸。そんな事を考え始めるといてもたってもいられなくなり、ここに町の小さな「玄関口」をつくろうと思いました。この町の価値を知ってしまった責任です。こんな気持ちになったのは、生まれて初めての経験です。もともと富山県のどこかに場所を持って何かしようとは思っていましたが、県内各地で考えていた候補地リストは、この内川の景色を前にすべて吹っ飛んでしまい「もうここしかない!」と心がそう叫びました。慎重に地域を選んでいたのに、まさか一目惚れでそうなるとは自分でも思いもよらなかった行動です。人は勢いで、直感で、こんなにも考えが変わってしまうのかという驚きも覚えました。
2013年1月、「uchikawa六角堂」がオープンしてから約10年の間に、内川沿いとその周辺の地域には30店舗以上の店や宿がオープンしました。2024年から数ヶ月かけて射水市役所が新規出店者27店舗へのヒアリング調査を行う事業に同行して、まとめ作業のお手伝いをさせて頂きましたが、出店したオーナーさんの多くも内川の町並みや地域が気に入ったことが最初の動機となって、この地で商売をされているようです。皆さんの商売哲学の違いはあれど、ばんばんに儲かっている店は少ないと思います。それでもこの地で踏ん張ってやっていこうとする気持ちは一緒なのかなと思います。
今思うと、その土地にお手本となる先駆者がいたり、実例があったりすることは非常に大事です。それは決して成功例というわけではなく失敗例でも良いと思います。内川のこの現状は「人が人を呼ぶ」というフェイズに入っています。実際に地域に飛び込んで店を開業している人が何人もいる安心感たるや、絵を描く前の白いキャンバスに下書きがされているような状況を作り出しているのかもしれません。
一方、その下書きがないキャンバスに絵を描こうとした私は、筆の「当たり」を探すかのように、カフェをオープンすることを決めてから、ご近所の人にご挨拶したり、散歩で出会った人に話を聞いたりしました。中には絶対に失敗するからと開業に猛反対する人も居ました。あれは親切心だったのか、よそ者排除の運動だったのか知る由もありませんが、随分とアウェー感を覚えながら地域の反応を確かめました。
後戻りできないという自覚。
それと銀行の融資についてはぜひお伝えしておきたいです。もう行名を出してしまうと、北陸銀行本店ですが、富山で実績もなく、手元資金も少ない会社だという事に加えて、人通りもなく交通の便も悪い片田舎の住宅地にあった空き家を改装してカフェを開くという計画に、よくお金を貸してくれたと不思議に思うのです。何度も断られて、ついには信用保証協会に行って直接プレゼンまでして、それでもGOサインが出なかったんですが、ある日突然「融資します」と連絡が。不思議に思って「なぜですか?」と質問すると、電話口の担当者も不思議そうに「突然、審査部から連絡があった」と。神様っているのかな?と本気で信じてしまうような出来事でした。
融資が決まってしまって、実は気が重かったです…。もう後戻りはできません。ワクワクすること半分、これから未知の世界に飛び込むことの不安が半分。いや不安が7割くらいだったかも。ちゃんと経営できます!という事業計画を書いて了承を得たにもかかわらず、いやそんなに上手くいくはずがないと思っていましたし、商売の成功などまったく期待していませんでした。とにかく、内川の存在を知る場になれば、まちの魅力を伝えるキッカケになればと考えましたが、この町の魅了が私をそうさせたのです。実に罪深い町です(笑)。
ローカルプレイヤーの醍醐味。
もちろん利益が出るように頑張りましたが、心のどこかでは社会インフラ的な気持ちでこの事業を捉えていました。オープンしてからはそれなりに反響があり、県内でもほとんど知られていない町に佇むボロボロの空き家を改装して(オシャレな)カフェをつくった人がいるという話題は地元のマスコミが放っておくわけがありません。東京で仕事をしていた頃、ひとりの人物として新聞やテレビに取材されるようなことはありませんでしたが、ついには全国紙や書店に売られているような雑誌、全国放送の番組にも取り上げられるようになり、40歳を過ぎて、こんなチャンスに恵まれることもあるんだぁと、思わぬ人生の転機を楽しみました。
私は最近になって、「一途」という言葉の力を噛みしめています。後先考えないという言い方もできますが、それでこそ、ローカルプレイヤーになった醍醐味とも思えます。問題に気づいてしまったり、解決する方法を知っていたり、その力があったりと様々なケースがあると思いますが、その時、必要なことをすべき人が自分しかいないと思うと、それはまさに責任を感じる瞬間なのです。もう一途な思いしか生まれず、それをやらないといけないと、勝手に使命感が湧いてしまうのです。そこに経済が伴えば言うことナシなのですが、どうもそう上手くはいかないようです。それが出来たら「出来すぎ」ですね。(笑)
とは言え、コロナ禍にある以前の2018年は、月商200万円を超えて、損益分岐も迎えて、田舎のカフェにしてはなかなか良い方向に進んでいたと思います。銀行の返済もあるため、10年はカフェを続けると決意して始めましたが、10年でどこまで内川に貢献できるのかは未知数でした。
空き家が足りなくなるとは思わなかった。
内川沿いに空き家をリノベした店が次々に誕生して、ついには内川周辺にも波及したり、地域が面として盛り上がっているようなイメージを持ちました。当時に思い描いた未来は、現在、結構近い形にまでなっているような気がしますが、皆さんが商売をしたり住まい持ったりするための物件が足りない事態になるとは夢にも思いませんでした。
10年前であれば、空き家があって、所有者の居場所も分かって、でも空き家を使いたい人がそんなに多くないという状況でした。ところが今は、内川が注目を集める地域になり、譲ってもらえる空き家を探している人が沢山いても、使える空き家が少ないという状況です。この約10年は、供給と供給のミスマッチが起こって、なんとももどかしい思いをしてきました。もし、10年前に今のような需要があれば、空き家がもっと活用されたのではないかと。いやしかし、何事も遅すぎることはなく「今が最善と思えば良いのでは?」と妻がよく言っています。確かにそうかもしれません。
自分が成し遂げたことを褒めよう。
行政が進めてきた重点密集市街地整備によって、間口の狭い古い町家が連続する町並みの多くを失ってしまい、空き家対策への本気後も低く、10年前に比べて町全体の魅力が落ちてしまったのは事実ですが、行政もやっと空き家を活用した活性化の方向へと動き出したと感じるここ数年です。内川で商売をしようと決意した勇者たちのお陰で、この町は今注目されています。その人気ぶりは行政も無視できないほど。私からしてみれば、随分と魅力を失ってしまったと感じるこの景色でも、はじめて内川を見た人の感激ぶりを見ていると、本当にこの町のポテンシャルは凄いなと感じざるをえません。
こんな町が日本にあったんだと感激をして帰られる人々に、私が見た13年前の景色を見てもらいたいです。どれだけの衝撃を与えることができるか、当時にタイムスリップしてみたいです。こういう事を考えますと、自分の非力さと、もっと何か出来たのではないかという後悔の念が湧いてでてきます。私はそう考えるクセがあり、自分で「十分頑張った!」と思えない性分です。
しかし、そんな思いもぐるんと一周させて内省的になってみると、自分は自分をもっと誇っても良いのではないかという考えもあります。「uchikawa六角堂」からは身を引きましたが、まちがいなく当初思い描いた「何か」はかたちになったはずです。それは「お店」でも「場」でもなく、経済よりも文化を大事にする社会への挑戦となる一歩、言うなれば「文化的なインフラ」でしょうか。まちの魅力に気づく、次に来る人たちを迎い入れる基盤が、ある一定の形を成した、見える化したと言っても良いのかもしれません。
この場を借りて、カフェ「uchikawa六角堂」をオープン、そして11年続けることができて、さらに経営を引き継ぐに至るまで、あらゆる場面でご協力とご支援と応援をしてくれた皆さんに感謝の気持ちをお伝えします。「ありがとうございました 。m(_ _)m」
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。