14曲目 売れないミュージシャン
さて、前回RAPスタート時の話の途中で終わってたけど、その後緊急事態宣言でたり、仕事で酒を出せれなかったり、先の見えない縛られたルールに少しお疲れモードで書く気になれへんかってん、正直。
購読者の皆さんごめん。こっから爆速で取り戻すわ。
では、前回の続きからぼちぼち書いてこ。
練習生として必死に頑張る自分が初めて良い遊びも悪い遊びも学んだがこの頃。時に、自分がマイク持ってブースに入ろうとしたら、いきなりマイクの電源切られたり、ひどい時にはLIVE前に自分が使うレコード投げられたり、お前みたいもんが入れる場所ちゃうねん。って顔されて、直接言うてくれたら良いのに、陰湿なやり方でコソコソするオカマ達もこの頃よういたなー。この街の右も左もようわからんかったし、クルーのみんなに迷惑かけたなかったから、大人しくしてたけど、今やったら確実に笑いながら殴ってるレベルやろなw 冗談よ。
自分もバリバリ調子乗ってたし、生意気やった。そうしたポジション任されたのもあるけど、出る杭はとことん打たれてた。そらしゃーない、実力もマイクバトルでは負けなしで、とにかくうちのクルーはファンクラブできるほど人気やった。LIVEが始まれば、将棋倒しのように人が集まってくる。若いってすばらしい。
せっかく音楽をやりたくてマイク掴んだのに、暴力振るう先輩やら周りの客見て、正直全然カッコ良い思わへんかった。だって、もうその頃、都会では日本中を騒がすカッコ良いアーティストがバッチバチ良い服着て、良い車乗って、綺麗なお姉ちゃんはべらかしてたから、一田舎の井の中の蛙が大層カッコ悪く見えてんもん。しゃーなくマナー悪い人殴ってたけどw。しゃーなくよ。
まー、大体、大したことないことがすぐに捲れる業界やから、結果で見返したろうってその時思ってん。案の定、その先輩連中は自分に媚び売ってくるようになったけど、一回も自分からオファーする事なかったし、いつの間にかシーンからおらんなってたな。笑
20歳そこそこ。16、17歳のころ。地元には暴走族上がりが少しずつダンスやRAPに興味持って背伸びするのがやっとの頃、当時のクラブにいてる人らは、むっちゃカッコ良く見えた。セクシーな女性に悪そうな人達、そらもうムラムラ、ギラギラしてしゃーなかった。でもクソガキが近づけるほど、甘くないし、クラブも不良が多く超マイノリティーやったから最初は緊張しまくってた。悪そうな先輩は必ずと言って良いほど良い女を連れて歩いてて憧れた。当時はとてもとても羨ましかって、適当にナンパしてはお持ち帰りしたりしてたw
と、同時にあの人で行けるなら俺でも絶対いける!なんて、まー思い上がった自分がおった。俺だけちゃうで。みんな思ってた。そんな奴らが結果残っていったし、人気もあった。嫌われる覚悟もないのに、新しい道なんて作れへんて。そんな甘い業界ちゃう。にしても、若さって無敵。
そして、段々東京や都会に行くことも増えて、この頃から、この業界の裏事情や裏の背景を知りだして怖くもなった。あー、この先輩ステージや客の前では凄い良い人やけど、裏ではめっちゃ偉そうやなーとか、クール気取ってるけど、めっちゃ女垂らしやんとか、あー、やっぱりこの人達、こんな怖そうな人達とばっちり繋がってねやなーとか、見てはいけないようなドラッグディールも。そんな場所にも行きたくないけど、付き合いで行かなければなかった時もあった。ここでは絶対書けない全てが塩劇しかなくて、新鮮やった。若さゆえに、許されたし、時代もそんな感じやった。
尊敬する先輩のクルー脱退後、自分も脱退してソロ活動。ローカルだけやけど、ステージの上やフライヤーや雑誌などで少しずつ名前が売れてきた自分やったけど、ギャラは3000円がやっと。ファンにチケット買ってもらって50人呼んでるのに、ギャラ3000円やで。今考えたら正気の沙汰やない。その頃頑張った貯金が今に今になって返って来てくれてるなーとたまに思うこともある。
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