18曲目 風の時代?風邪の時代?
皆さんコンバンワ。風の時代に揺られながら、自己管理をきちんとしてからは、もれなく風邪をひかない自分。
一年前に放置してたネタ帳を開きながら、読み返してると、感情の時間軸が微かに動いているのを感じられる。
最近また蔓延防止となり飲食業界には本当の冬の到来。指を咥えて待っていればお金が入るわけもなく、世間から支援金や補助金もらえて良いですねと言われますが、当然売り上げが30-50%落ちてなきゃ貰えないし、全て利益計上されるので400-500万程利益となれば30-35%ほど、400万以下でも20%ほどの税金を持っていかれます。
詳しくはこうした情報ググったら沢山出てくるから見てみてください。
逆に、このコロナ禍で利益が出た方は、下手に買い替える必要もないのに、税金払いたくないからと言って、車や店の設備投資に回すのは非常に危険。
僕も詳しく知りませんでしたが、倒産防止共済という仕組みを利用すると節税対策にもなるので参考までに見ておくと良いと思います。
さて、昨年はNOTE関連で言えば、定期購読コースも開設できたし、スタート当初は何もしなければ0円だった発信も行動をすることで仕事として目指す働き方の第一歩をスタート。
これも一重に日常にエンターテイメントを求める素敵なアンテナを持った皆さんのおかげです。ありがとう。
実は、去年の2月飲食事業部の売り上げを一旦放棄して、キャンピングカー借りて1ヶ月ほど、日本一周する計画を立ててました。でも、緊急事態宣言が出てしまい全て予定がキャンセルとなりました。
今年こそはと思ったが、これまた蔓延防止発令。
理由は、なんとなくってのが本音。映画みたいに自分探しとか、人とは違う人生をなんてカッコ良いこと言いたいけど、現実はそんなカッコ良いもんじゃない。昔から海外行くと、自分がいかに小さく、日本って国を知らないかを痛感してきた。日本の文化を知らないってのは、海外に出るとこれだけ恥ずかしいことだと身に染みた。特にアパレルや音楽などのカルチャーに触れてる方々はバックグランドに非常に興味があるし、そこの深掘りを楽しむ傾向がある。DIG(ディグ)って深掘りするって意味なんやけど、レコードを掘るってのもDIGるって言われてたぐらい、カルチャーベースの人達には当たり前のライフスタイル。
そんな想いから、幸運にも日本という恵まれた国に生を授かり、いつか日本中旅をしたい。そんな風にずっと思っていました。
その夢はまだ諦めておらず、僕が一ヶ月いなくても、ビジネスが回る仕組みを作る。それが今の目標。
今だからこそ自分みたいな他とは違う生き方をしながら、夢のあるライフスタイルを提案出来ないだろうか。そんな風にお気に入りのワインを飲みながらソファーでぼんやり考える時はとても幸せだ。急に降りてくるアイデア。足りてないのは、ステキなパートナーと丁度良いおつまみぐらい。発想はいくらでもシャンパンの泡のようにシュワシュワと。
ただ、現実旅に出ると、もう二度と行きたくないって言うかも。そんな時はスナックでもやりながら、その旅での失敗論でも話そうか。
にしても日本一周するなら何をしようか。
冗談っぽくなんとなくって答えたけど、実は目的はちゃんとある。岡山に来て、関西出身の自分は、ずっとこの街を俯瞰して見れていた。今年で42歳になる。18歳で岡山に友達0の状態から、先輩を追っかけて来てもう24年目になる。
そうなると少しずつ居心地も良くなり、この街の人も文化も、知りすぎてきた。そうなると、段々俯瞰に物が見えなくなってくる。憶測や偏見、固定概念が邪魔をする。こうすればこ唸るが予想でき過ぎてしまう。実際はそうも甘くないけれども。
だから日本や世界を旅することで、インプットの質が絶対変わってくるので、それを岡山に還元したい。外から見ることで、もう一度中の魅力を再発見できるから。
もう一個は、自分みたいな帰って寝るだけで、独り身が楽な人間には、もはや家っているのかな。そんな感情もたまに湧く。キャンピングカーで実際寝泊まりする地域もアメリカにはある。土地が高過ぎて買えないから、キャンピングカーで寝泊まりするノマドワーカー達がいたり、メジャリーガーにもキャンピングカー暮らししながら野球選手やってる人もいる。興味深い。きっと大変なんだろうけど、楽しそうには行動しかない。人生一度、味わえるものは味わいたい。
そうなると、移動しながら出来る仕事ってなんやろうか。物販しながら、知らない街でサバイブしてくそんな暮らしにも挑戦してみたい。だから、まずはその夢を実現するためには、本業である飲食店やアパレルで結果を出さないと説得力に欠ける。だから、今その夢に向かって挑戦してる。
以前、そんな思いつきをキャンピングカーレンタルやってる知り合いに相談してみると、暇なシーズンであればと、快く快諾してくれた。彼から情報収集してみると、どうやら今どきはRVパークなるスポットがあると。そこで寝泊まり出来たり、電源もあったりとずいぶん便利なスポットがあるんやなと驚いた。高速道路の近くや、キャンプ場、最近では街中にもあるみたいで、車中泊を想定した駐車場があるほど。家の価値ってますます多様化してきそう。
ただ、昨年、その準備の真っ只中に緊急事態宣言が発動され、行こうと思っていたお店がやっていなかったり、メディアに出る事自体が過敏な状態になった状況、僕が全国回ってコロナ禍でも頑張る飲食店や会いたい人に取材しに行く事が、今は最適ではないと諦めた。
また、2月出発と、天気も心配で自分の車ならまだしも、慣れない人の車、ましてやキャンピングカーってなると、雪道でインフラが停止してたりと、なかなかハードルが高い。昔なら絶対そんなこと気にせずいってたけど、今は時間がとても大切。どうせ使う時間なら最大限に発揮できる使い方をしたい。
この旅も成功するしないってよりは、行くだけの価値を自分にちゃんと納得した上で行きたい。そうであれば、失敗しても全て財産になる。年を重ねる上で時間はとても大切ってことに気付く。時間だけは平等にあるけど、時にそれはとても残酷であって、だからこそ尊い。逆算したら、ゴールがぼんやり見えてくるこの歳。若い時にはあまり持ち合わせてなかった感情かも。
昨年までは、正直、無茶苦茶頭と行動をフル回転させて、コロナ禍でも数字はそこまで崩れずに、皆さんのおかげで、なんとか耐える事が出来ていました。むしろ忙しくさせてもらってたほう。その分、お金と時間は今まで以上に人の為に使わせて頂いた。ただ、これはなんかの使命とかではなくて、ただそうしてる自分が幸せで幸福感と満足感を得られるからやってるってのが本音。カッコ付けなんよ、基本。俺は。ただ、粋でいたい。それはうちの婆ちゃんの遺伝子。チャキチャキの江戸っ子ソウル。
西日本豪雨災害の時に、こうしたボランティア精神ってのが、自分の幸せのベクトルがここだ。と、確信させてくれた。それは具体的に言うと、無償で時間と身体を捧げて、帰り道に仲間と食べる一杯のラーメンと餃子とチャーハンが本当に美味くて、ベッドに入ると本当に有り難く幸せを感じれた。その時間はなかなか体験できることではない。出来ない人から見たら、良い人アピールだの、偽善者だの言われるが、自分が好きでやってることで、相手も喜んでくれてるんやから、外野で何もせず文句ばっか言ってる人を相手してる時間は残念ながら僕にはない。
正義を振りかざし缶ビール片手に理想を語るなら、まずやってからにしてくれ。
いつか、お金持ちになったら必ずこうしたボランティア活動に自分の時間を割いていくのは間違いない。それはそこでしか得られない喜びや悲しみを知ってるからやりたいと思う。今でもその時を思い出すと、とても贅沢で豊かな時間だったと思う。
今も、昔に比べたらお金の心配もないとは言い切れないけど、やはり本業で結果を残す。そこが出来て、初めて人様のお役にも立てると痛感した。僕らはスポーツ選手と同じく、その日の結果を積み上げていくしかない。その日サボれば売り上げは0円。だから、自分が働かなくてもお金に働いてもらうようにと不動産業のプロに色々と勉強させてもらった。まだ、ほんのスタートですが、そうした行動も始め出している。
実は今店の裏にパートナーの不動産屋さんがマンションを購入した。そこを僕がディレクションすることになった。家具屋さんはここで、内装業者さん始め、打ち合わせは僕中心で回る。間取りは1K。やったことはないけど、昔から好きなインテリアや空間の動線をあれやこれや仲間と話しながら組んでいくのが好きだ。また、この続きは、進行状況に合わせてここにUPしていきます。インスタには載らない情報もここにはこうして書いていきます。
こうして仕事がストップしてる今、一番しんどいのが、自分が人様のお役に立てないってのに、残酷なほどに世の中は関係なく回っていることが悔しい。じゃあ、自分には一体何が出来るんやろ。なかなか見つからない。見つかったとしても、僕個人で飲食店さんをサポートするには限界もあるし、継続できないのがなんとも情けない。まずサポートするにも自分の事業をしっかり安定させてナンボ。ここは理想論も良いけど、厳しいかな結果論。
昼のお店や、チェーン店のお寿司屋さんや焼肉屋さんは、売り上げはそこまで落としてはないみたいやし、郊外の店舗の人気店はランチ行列ができて密そのもの。うーん、なんで夜だけ。そんなモヤモヤした気持ちはわかるが、そこで指咥えてまてるほどお利口さんじゃない。やれない、出来ない理由探しより、コロナ禍でもこうして流行ってるお店があるんなら、行きたいお店作りや環境作りが必須と思って、あれこれ試行錯誤してる。そんな簡単に答えは見つからないけど、泥道で相変わらずもがいてる。
今は、これも後の成功への準備体操。そう思って、今出来ることを少しずつ。このNOTEのサブタイトルが失敗論にしたのは、成功論より圧倒的に失敗してる数のが多いから、そうした。
元々僕は独立前から失敗の連続。仕方なく独立するしか道がなかった。27歳当時、その頃の僕は、目の前のお金の事ばかりにしか目がいかず、いや、そうしないと自分がこの街で暮らすことはできなかった。もう必死。もう二度と貧乏したくない。そんな思いで前の会社の社長の借金を朝から晩まで働いて返していた。
27−35歳まで2000万円もの前社長の未払金の肩代わりを引き受けざるを得ない状況で(今なら絶対しない)、人の借金を返済することがこんなにも苦しく悲しいものかと痛感した。この2000万の中には、給料の未払いや役員報酬の未払いなども含まれており、当初の契約はなんやったんやろか。契約を巻こうが、代表や会社に資金が無ければお金は支払っていただけない。裁判しても相手側に返済義務がなければ裁判費用と時間ばかりが取られて大体泣き寝入りと当時の弁護士から伝えられた。
このままでは、当時の会社に残された子達が自分と同じ運命に遭う。それだけはは御免と、カッコつけて月25万×7年近くの残された借金や売掛などを返済プラン組みながら返していった。
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