褒め方

小学3年生の時、提出した作文が先生の目に留まり、階段踊り場の掲示板に貼られた事がある。4枚ぐらいの長文だったと思う。家族をテーマに書くように言われたのか忘れたが、私は母について書いた。家族のために食事を作ってくれる、他にも大変だから、もっと手伝いたいと、最後は無難な終わり方だったと思う。多分出す前に母に見せたと思うが、掲示された事は、母にとっては嬉しい大事件だったようで、学校まで見に来た。いや、丁度保護者会や面談があった帰りに見た可能性も高い。気どった服を着た母は「すごいじゃない!」と喜び、持ってきたカメラを掲示板に向け、作文だけの写真をとった。それから「バジルちゃんも横に入って」そう言い、私は横に立ちピースをして写真をとってもらった。

何ていうか私は、兄、弟に比べて勉強ができない子だった。それを指摘されたり、咎められた事はないが「この子は頭が良くない」と思われ、気を使われているのは子どもなりに分かっていた。

作文については、後はあまり覚えてないが、描いた絵や好きで作った立体工作、ピアノの演奏については、よく母に褒められた。

大抵、2歳下の弟と比較され、いない所で褒められた。弟は勉強はできたが、絵を描くのは苦手で工作も好きでなかった。同じ先生から習っていたピアノは、習得も進みも私よりはやかったが、弾き方がやや機械的で、感情を込めたような演奏ではなかった。「バジルちゃんは本当に心を込めて弾くのが上手ね、タケちゃんとは音が全然違う」とか何とか、よく言われた。

私は、工作は好きだったが、手先が器用ではなかった。セロテープを貼る作業などは、切る所からうまくできない、もっと綺麗に貼りたいのに、うまく貼れない事もよくあった。

菓子折りの空き箱と折り紙を使って動物園を作った事がある。折り紙で作った動物で覚えているのはコアラだ。空き箱に筆記具で線を引き、コアラの場所を作り、そこにまた、厚紙か何かで作った木を立たせて、コアラを付けたかったのだと思う。木の根っこにセロテープをつけ、箱に固定したいが、おそらくセロテープをベタベタに貼ってしまい、綺麗にできなかったんだと思う。コアラも木に付けたらグラグラしたのか、思い描いたように出来なかった。

しかし、完成した動物園を見た母は言うのだ。

「あなたって本当に器用なのね」

全く嬉しくなく

「全然器用じゃないよ」

本当に思う事を言い返した。

「器用よ〜、すごく上手に作れてるじゃな〜い。タケちゃんはこんなの作れないわよ」

そこでも弟を出すのだ。

私はそんな褒め方をされて、嬉しかったんだろうか。子どもだった私は母に褒められたくて、認められたくて描いた絵や作品を見せた。しかし、大げさだったり、的外れだったり、弟を引き合いに出すその褒め方は、いつも私を少なからず苛立たせ、失望させていたと思う。

勉強に関しては、わからなかった算数の問題が、教えてもらって何とかできた時「バジルちゃんだってやればできるじゃない!」とやたら持ち上げられた。「やらないからできないのよ」とも言われた。しかし私は、兄、特に弟は、勉強をしている訳でもないのに秀でている事を知っていた。私は自分はやらないからできない、やればできるとはどうしても思えなかったし、そう言われる事が苦痛だった。しかし、その内心に母は全く気づかないのだ。

去年、次男が通っていたプレ幼稚園の講演会で「叱るよりも褒める方が難しい」という話を聞いた。的確なタイミングで、その子が満足できるように的を得て褒める事は、難しいという話だった。

でも、学童で働いていた時、私が悩んだのは圧倒的に叱る方だった。褒め方は、確認した訳じゃないがそう悪くはなかったと思う。描いた絵をみせてくれた時「この色づかいが良いね」「〇〇がよく描けているね」何て言うと、大抵子どもは嬉しそうに、その工夫を話してくれた。

そういう訳で、あの時の無念は時を超えて晴らされたと思いたいが、そう言うには全くもって褒め足りなかった気がする。預かる子どもの人数が多く、余裕がなかった。

…自分の子?よく褒めてます。褒めると満足そうに、更にお話をしてくれる事もあります。良いタイミングで的も得てると思います。確認はしてません。







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バジル
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