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「今日」に明るく挨拶するために。

こんにちは。めんだこです。
今日は、大好きな松浦弥太郎さんの本を紹介します。

松浦弥太郎さんは、「暮らしの手帖」の編集長を務めたことのあるエッセイストです。暮らしについて語る彼の文章は、とっても簡潔でわかりやすく、かつ温もりがあり、何より素直なのです。

暮らしにおいて着眼するところも、
流石多くの「暮らし」をリサーチし、観てきただけあって、
普段私なんかでは気にも留めないようなものが沢山。

松浦さんの本が置いてあると、ついつい手に取ってしまう私。
今回のタイトルは、『今日もごきげんよう』

イエローの縁がいいですね!

おーーーーーー、明るい気持ちになれそうだ!!!と、すぐに購入。
松浦さんのエッセイと共に、素朴なカラー写真も。
松浦さんと喫茶店で2時間ほどゆっくりお話ししたような感覚で、
時々くすっとしたり、頷いたりしながら読めます。

いくつか、お気に入りの箇所をご紹介しようと思います。





人を喜ばせるということ。

「人が人のために心を精一杯働かせるってこういうこと。その1文字、その言葉が、その1ページが、ほんとうに人を幸せにできるのか。…どんな世の中になっても、どこかに取り残されている人がいないかと思いを巡らせること。その人のために何をしたらといかと考える事ね。」

『今日もごきげんよう』著松浦弥太郎/12項

これは、松浦さんが『暮らしの手帖』の編集長になったとき、ジャーナリストである秋山ちえ子さんが下さった言葉だそうです。
1文字にまでこだわる姿勢がとてもストイックでカッコいいです。

この多様性が広がる世の中で、隅々まで人の思いやバックグラウンドを想像し、考え抜いて選び抜いた1文字1文字を連ねる事。
全員にとって両手を広げてもらい、受け入れてもらえるような文章は、難しいですし返ってつまらないかもしれません。
自分の見たものや考えを率直に表現する中でも、
どこかにいる誰かの気持ちまでをも考え抜いてから発言する。

人の気持ちを救ったり、明るくしたり、喜んでもらうにはそれくらいの「考え抜く努力」が必要なのだと奮い立った1文でした。

美しさによる継続

ひたすらにがむしゃらに突き進み続けるのではなく、それは美しいかどうかにこだわる視点を人生に持ちたい。

『今日もごきげんよう』著松浦弥太郎/113項

私は学生時代ずっと「がむしゃら」が一番美しいと思っていました。
全力を出している姿は、かっこ悪いかもしれないけれど、美しいと。

実際にそうだと思う反面、その頑張り方は長続きしません。
常に冷静に分析する視点を持ちながら、余分なものは落としていく。
そぎ落とす行程を取り入れることで、それは持続可能なものになります。

がむしゃらなだけでは、いつか壊れる。

これは私の大切な教訓です。
かといって、まっすぐに向き合うがむしゃらさは忘れませんけどもね。

自分を知るための健康。

まずは自分が元気でなければ、人付き合いは務まらない。…自分が元気であることで、人の気持ちもわかるし、親切になれる。いろいろなことを前向きに捉えることもできる。どんなことでも学びとして向き合えるとわかったからだ。

『今日もごきげんよう』著松浦弥太郎/149項

接客業をする私に突き刺さった言葉でした。
自分が相手にどう接するかで、自分の状態がよくわかるものです。
心にささくれが出来ているようなときは、普段なら気にも留めないようなものが気になり、集中できなかったり、うまく言葉が出てこなかったり、気が回らなかったり。

すなわち、日々自分の状態を整えておかなければ、お客様に「最善」を気持ちよく差し出すことができません。
お金を頂き、販売しているのだから、どんな状態でもお客様の前では笑顔で販売しましょう、
そう頭では分かっていることが、かなり難しいのです。
だから、日々少しずつ自分を整えておく。
どんな状態でも、笑顔で立てるように自分の体に問題はないのか、耳を傾ける。
気が滅入る時は、独りで充分悲しんだら前を向くための準備をする。

自分を放っておいた状態で、誰かを笑顔にしようなんてできないのだなと思います。
自分の体と心の健康あっての人付き合い。
今は接客業の中での話をしましたが、家族や友人、恋人との付き合いの中でも全く同じだと思います。

喜ぶべきことに喜べるように、感謝すべきことに気付けるように。
健康で居ましょう。


さて、二度と戻らない「今日」に明るく挨拶できるように。
日々を細やかに心を込めて生きよう、そう思える素敵な本でした。

大切な同期が京都のお土産でくれた鈴蘭のファブリックスプレー。
落ち着きたいときにカーテンに吹きかけています。


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