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【演奏家によって再現される芸術】楽譜(スコア)が手がかり

例えば、オーケストラ曲の場合。

出だしがきちんと揃わない、ソロ(独奏)楽器の音がふらつく等、素人目にもわかるミスは、別です。

一応、ソツなくやってはいるのですが、 別の演奏と比べると、何かしら元気がない。

リズム、テンポが単調で、盛り上がりに欠けるというような演奏があったとします。

これだけを聴けば、

「そんなものか」

と納得してもおかしくないわけですが、さらに、緩急・強弱等のメリハリに富んだ、別の演奏を知ってしまった場合。

聴き手としては、そちらの方を、断然、いいと気に入ってしまった場合。

その違いが、どこから来るのか知りたいと思ったら、手がかりは、さしあたって、楽譜(スコア)だけです。

しかし、実際に、楽譜を手に入れて眺めてみると、それだけでは、どうも、よく解らない。

例えば、プレスト(きわめて速く)にしろ、エスプレッシーヴォ(表情ゆたかに)にしろ、それなりに、指示に従っているようにも見えるのです。

ただ、一方は、おとなしく、他方は、オーバーにやっている。

どうやら、その違いによるのだとはわかったとして、楽譜からは、どちらが正しいのか、実のところ判断することは難しい。

だとすると、楽譜が指示できるのは、ある部分まで。

あるいは、大ざっぱなことだけ。

そこから先は、指揮者の裁量で、何ともなるのだということがわかる。

では、指揮者は、何を根拠に、おとなしくやったり、オーバーにやったりするのか。

その点が解らないと、聴き手としては、納得がいかない。

しかし、そのことについて、楽団員でもない私たちが、いちいち理由を尋ねるわけにもいかない点が難点ですね。

だとしたら、あとは、想像だけです。

彼は、なぜ、ここを、あのように抑制したり、強調したりするのか。

外れてはいないが、ぎりぎりのところまで、オーバーにやるのか。

単なる思いつきでないとしたら、彼は、スコアを通して、何かしら、別のものを見ているのかもしれません。

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