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【演奏家によって再現される芸術】最初に聴いた演奏
演奏については、また、こういうことがあったりします。
「いいなあ」「よかった」と感激した最初の演奏について、その印象が、強ければ、強いほど、そこから離れられず、その後に聴く別の演奏も、全て、これを基準に判断してしまいがちだ、ということです。
例えば、カラヤンという指揮者の演奏するブラームスの交響曲をナマ演奏で聴いた。
なぜか大感激した。
もう一度聴きたいと、CDを買った。
何回も聴いて、曲も演奏も完全に頭に入った。
ところが、その後、あれこれと音楽体験を積み、ブラームスの交響曲も、色々な指揮者による演奏を聴くようになったが、どれを聴いても、カラヤンとは、少し違うように思える。
不満足な気がしてならない。
批評家や友人たちの意見では、必らずしも、カラヤンがベストではないというのだがと、まあ、こういうことがあると思うのです。
この場合、そもそものきっかけは、カラヤンをナマで聴いたことです。
そして、彼の演奏に、素晴らしいと感激したことが、ベースになっています。
その気持は、純粋に、演奏にのめり込んで得たものであるのは間違いないだろうと思われます。
演奏も、また、技術的に問題があるとか、ひどくクセのあるものでない限り、水準も、決して、低いものとはいえないだろうと思われるからです。
だとしたら、その人にとって、カラヤンの演奏が、一番というのに、何らおかしな点はなく、それを基準にしたところで、決して、間違いとはいえないだろうと考えられます。
客観性も大事かもしれませんが、演奏に感激したり、良し悪しを感じるのは、あくまでも、個人の感性だからです。