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【簡易レポート】言語を受け入れることと受け継ぐこと

日本語は、膠着語という形式の言語です。

言語の種類を分けるときに、以下の4つに分類する(「旅する応用言語学」から引用)ことがあります。

☆    ★    ☆

膠着語(agglutinating language)

孤立語(isolating language)

屈折語(inflecting language)

抱合語(incorporating language)

この4つにすべての言語がきれいに分かれるというわけではなく、2つの類型どちらにも当てはまるような言語も多いのですが、この4つ(その中でも、膠着語・孤立語・屈折語の3つ)は、よく使われる分類方法です。

そこで、それぞれの分類を紹介しておきます。

1.膠着語(agglutinating language)

「膠着」というのは、「あるものが他のものに接合すること」という意味があります。

膠着語は、助詞や接辞などの機能語が、名詞・動詞などの自立語にひっついて、文が構成される言語のことです。

日本語も膠着語に属する言語です。

例えば、日本語は、以下のような文があります。

例文:「私は大学にいった。」

「は」「に」や「た」は、それ自体では実質的な意味を持たない、機能語です。

こういった機能語が、「私」「大学」などの名詞や「行く」などの動詞などの自立語にひっついて文が構成されているのが膠着語です。

日本語以外にもモンゴル語、韓国語、トルコ語などがこの膠着語に入ります。

2.孤立語(isolating language)

孤立語は中国語・チベット語・タイ語などが属すると言われています。

孤立語は、「孤立」という言葉にあるとおり、それぞれの単語が意味を持っています。

例えば、中国語で「私はあなたを愛している」は「我愛你」です。

例文:「我 愛 你」

このとき「我」「愛」「你」のすべてがそれぞれ意味を持つ自立語です。

膠着語のように助詞などがつくということはありません。

孤立語の文法的機能は、語順によって示されます。

3.屈折語(inflecting language)

屈折語の例としては、ラテン系の言語(フランス語・イタリア語など)、ギリシャ語、アラビア語などがあげられます。

英語も屈折語に入れられることが多いです。

これは単語の形が文の中で変形することで文法的機能を表す言語です。

例えば、フランス語は、以下のように「aimer(好き)」という動詞の活用が変化します。

Je l’aime(私は彼が好き)

Tu l’aimes(あなたは彼が好き)

Il/Elle l’aime(彼/彼女は彼が好き)

Nous l’aimons(我々は彼が好き)

Vous l’aimez(あなたたちは彼が好き)

Ils/Elles l’aiment(彼ら/彼女らは彼が好き)

また、過去形・現在形・未来形なども語形変化で示します。

Je l’aime(私は彼が好き)

Je l’aimais(私は彼が好きだった)

Je l’aimerai(私は彼が好きになるだろう)

4.抱合語(incorporating language/polysynthetic language)

抱合(ほうごう)語というのは、名詞・副詞・動詞などの文の要素を組み合わせて、1つの語を作ることができる言語のことです。

抱合語の例としてよく挙げられるのがアイヌ語やエスキモー語です。

例えば、アイヌ語では、「私が魚をとった」を「kani(私) cep (魚)ku=koyki(私がとった)」というようですが、以下のように動詞の中に取り込むこと(名詞抱合)も可能だそうです(ブガエワ 2013, p. 32)

ku=cep-koyki(私魚とる)

この場合、「私」や「魚」が独立して存在するのではなく、名詞・動詞を組み合わせた、合成動詞のような一つの語になるようです。

このような合成語を作り出すことができるのが抱合語のようです。

☆    ★    ☆

さて、日本語も基本は、膠着語に分類されますが、屈折語のような動詞の活用もあるので、各言語がこの4つに簡単に分類できるというわけではありません。

ただ、この4つはよく使われる分類方法だと思います。

助詞で名詞や動詞などの単語を膠のようにくっつけ合わせて文章を作る言語の意です。

このことが、日本語の他言語の取り込みに大きく関係しています。

つまり、どんな単語でも、助詞で繋ぎ合わせさえすれば、一応、文章として成立します。

例えば、ドイツ語は、格によって動詞の形が変わるなどの特徴があり、文章全体が連動しているから、日本語の様に、色々な言語を自由に取り込むことができません。

また、英語は屈折語に分類され、ヨーロッパ言語の多くがこれに分類されます。

ただし、実際には膠着語・孤立語などの特徴を併せ持っています。

また、日本語は、平仮名・カタカナ・漢字の三種類の文字が有るので、文字を使い分けることが可能です。

このカタカナの存在は、日本語に大きな影響を与えたと考えられます。

例えば、新しく外来語が入ってきた時、その言葉を無理に日本語に訳さずとも、音をカタカナで表現するだけで使える利点は大きいと考えられます。

この利点は、中国語を例にとると、全て漢字表記の言語であることから、外来語を受け入れるためには、漢字表記に直さなければいけません。

電脳(コンピュータ)の様に意味を当てたり、可口可楽(コカコーラ)の様に音だけを当てたり、その作業そのものも大変であり、いくら簡体字になったといえ画数が嵩み手間がかかることにかわりありません。

その点、日本語は、画数が少ないカタカナで表すことができ効率的です。

それより何より、言葉を受け入れるということは、その言葉が表す概念を受け入れるということであるから、外来語を受け入れやすいということは外来語の概念をスピーディーに受け入れられることでもあります。

例えば、アメリカには、「肩こり」に該当する言葉が存在しないため、肩を指さして「ディスエリア、タイト!」と単語で状態を表現しています。

だとしたら、それを表す言葉がないと「存在しない」事になると推定できます。

全ての事物は、それを表す言葉なしに存在はできません。

名前がつけられて初めて、人間は、対象を認識できることになります。

但し、形の無いものに名前をつける場合も多いのですが、その場合、その感情を、言葉で表現する必要があり、人それぞれのその時の状況により、認識に齟齬が発生する可能性があります。

そうであったとしても、正にはじめに言葉ありきです。

よって、日本には存在しなかった事物・概念が現れた時、すぐさま受け入れることができるということは、異文化への理解を手助けることに繋がっていると考えられます。

ただ、同時に、この日本語の特性は、短所ともなる特性を有しており、まず、雰囲気ありきで、本来の意味やそれで表現することへの深い思考を必要としなくなるため注意が必要です。

言葉への熟考がなくなることは、文化的損失と思われます。

私たちは、日本語固有の言葉を持っており、まずは、これを誇りとしなけれないけないと考えています。

その上で、他言語を受入れ、上手く活用しつつ、言葉の意味を熟慮する必要があります。

母語である日本語を受け継ぎ、その伝統を次世代へ伝えるための努力をしなければならないとも考えています。

【参考記事】


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