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【本日の思いつきバックナンバー】「みんなの俳句大会(ライラック杯)」版バックナンバー


【前書き】

自分の1日を、適宜、備忘録的につぶやいたり、メモ等を残しておくことで、今年の自分シーンへの振り返りのためとか、友人への近況報告になったりしてオススメかなって思います。

三日坊主でも続く日記と考えれば、案外、楽しいかもしれません。

つぶやくスタイルは、日記・随筆・エッセイっ風でも、五・七・五の俳句風でも、面白ければいいのかなって、そう感じます(^^)

みなさんは、日記・随筆・エッセイって、どんな違いがあると思いますか?

書いた本人が「これは日記」と言えば日記とも言えるし、「エッセイ」と言えばエッセイになるような。

例えば、エッセイは、随筆に似ているけれど、もうちょっと軽い感じのものって気がします。

だけど、自分の目でよく見たり、よく人のお話を聴いたり、読んだり耳にしたこと、その中で心の底から感動したり、感じたことを自分なりに深く考え、ある程度考えがまとまったら、ダラダラとした形ではなく、それをできるだけ簡単、明瞭にわかりやすく書き表すことが大切なのかなって気がします。

まあ、あまり堅苦しく考えずに、これまで、インプットしたものの中から、心に浮かんだことを、どんどん「エッセイ」みたいな形で表現して記事を書いてきました。

ここで、何かのテーマを日記・随筆・エッセイなどで書くことの意義を考えてみると、自分の思考を文章にして書き出すことで思考が整理できたり、それを読み返すことによって、自分の思考に対し客観的な視点を持てたり、そのため脳内だけで考えているよりも、より思考が進むといった利点があると思います。

そこで、必要な行動として、どんなテーマでも思考すること、書くこと、後で読み返すこと、読み返してまた考えること、また考えたことを書くことの繰り返し、要は、その習慣づけがメタ認知のために大切なんだなって、今回の作業で再認識した次第です。

振り返りは、とても大切で、書くことによる思考の外化・メタ認知の促進によって、自分ひとりの中で効率よく学習(=いろんな理解、思考)を進めることが可能になるなどの効果が期待できるから、みなさんも、お試しあれ!

さて、これまでに、その時々で、書けそうだと思ったテーマをベースにして、記事を書いていたら、結構シリーズ化していて、記事のストックも多くなってきたため、備忘録(バックナンバー)としてまとめてみました(^^)

【漫文】折々のうた

メキシコの詩人であるオクタビオ・パスが「もうひとつの声 詩と世紀末」で、こんなことを述べていました。

「もうひとつの声―詩と世紀末」オクタビオ パス(著)木村榮一(訳)

「アメリカでは、過去三十年間に詩の読者の数は、十倍に殖えた。

アメリカよりもソヴィエト連邦のほうが、詩の読者は、殖えてきている。

賞嘆すべき詩的伝統によって傑出している日本についても同じことが言えよう。」

そんなに買いかぶらないでくれ、と言いたくなるのですが、大岡信さんが朝日新聞朝刊の一面に、この三十年間、ときどき休みながら連載したコラム(日本語(翻訳を含む)の短歌、俳句、漢詩(読み下し)、川柳、近現代詩、歌謡の中から、毎日1つをとりあげ、それに対する解説を行うというもの。)が熱い支持を受けたことを思い出せば、パスの讃辞にうなずくことも許されるのではないかと思います。

短歌と俳句を主として扱うあのコラムの成功(二年目に菊池寛賞を受賞)は、大岡さんの詩人=批評家としての力量と、現代日本人の詩への愛との、確実な証拠となるものでした。

「折々のうた」の詩の選び方について、大岡さんは、講演で、こんなひとつづきを例にあげて説明していました。(『新 折々のうた総索引』所収)

「ものの種子(たね)にぎればいのちひしめける」日野草城

「相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ」川田順

「しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり」和泉式部

まず、直前が結城哀草果の農事の歌だったのを受けて、「ものの種子」の句が頭に浮んだ。

「種子」は、春の季語で早春のころの命のみなぎっているものの代表、生命力の象徴。

それをつかんで早春を感じているわけだ。

しかし、ひしめく命は、植物の命だけでなく、動物の命、人間の命もある。

川田順は、女弟子である有夫の歌人とあいびきし(「相触れて」はたいへんいい言葉だが内容はそのものズバリ)、帰って来たとき雷鳴を聞いて天の怒りを思う。

種子の命を、人間の命に移した。

和泉式部は、平安朝の女流歌人で、奔放な恋で有名。

男の恋から女の恋へ。

春から秋へ。

白露、夢、この世、幻、みんな短いはかないものだが、昨夜の逢瀬は、それよりもっと短く感じられた。

早く、また、逢ってね。」

大岡さんは、こう語って、つまり、自分は、連句(原則として複数の作者が、五七五の長句と七七の短句とを互い違いに付けて長い詩を作ってゆく日本伝統の詩形)の方法でやった、と述べています。

合せたり、受けたり、飛躍したりして付けてゆく、と。

しかし、私は、話をもっと立派にしたいなと思いました。

かつて、日本には、以下の通り、勅撰集というものがありました。

[和歌の精髄勅撰和歌集]

勅撰集は、天皇や上皇の命令書によって作られます。

勅は、天皇の命令という意味で、命令の書かれた文書を宣旨といいます。

天皇の言葉を最初に聞くのは、側に仕える女官、内侍です。

内侍は、それを蔵人に伝え、蔵人は、上卿に伝え、上卿は、さらに外記に伝え、外記が、文書を作成しました。

外記は、今でいう書記のような官職です。

伝言ゲームみたいですが、天皇の言葉が、直接役人に告げられることはなかったのです。

宣旨をうけて撰者が指名され、一定の方式、様式に則って組織的に編集されて、完成すると奏覧といって天皇、上皇に見てもらうという手続きを踏むことになっていました。

国家的プロジェクトというと大袈裟かも知れませんが、時代の和歌文化の粋を集めた権威あるものを作ろうという意識が働いていたのは確かなようです。

因みに、「古今集」は、宣旨から奏覧まで、8年ほどかかっています。

それに対し、天皇や上皇でない人が個人的に編集した歌集は私撰集、個人の作品を集めた歌集は、家集と呼んで区別します。

例えば、「紫式部集」や、

「山家集」(西行)等は、


家集です。

[「三代集」「八代集」「二十一代集」]

勅撰和歌集は、古い順から「三代集」「八代集」「二十一代集」と呼ばれ、特に、三代集と八代集は、重視されています。

平安時代から室町時代にかけて、21回作られました。

藤原定家が、百人一首に利用した勅撰集は、10種です。

以下に、名前と読み、成立年(推定を含む)を記します。

《古今和歌集》こきんわかしゅう(913~914年)

《後撰和歌集》ごせんわかしゅう(955年頃)

《拾遺和歌集》しゅういわかしゅう(1005~06年)

《後拾遺和歌集》ごしゅういわかしゅう(1086年)

《金葉和歌集》きんようわかしゅう(1126~27年)

《詞華和歌集》しかわかしゅう(1151年頃)

《千載和歌集》せんざいわかしゅう(1188年)

《新古今和歌集》しんこきんわかしゅう(1205年)

《新勅撰和歌集》しんちょくせんわかしゅう(1235年頃)

《続後撰和歌集》しょくごせんわかしゅう(1251年)

この内、平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて撰集された「新古今集」までを「八代集」と呼びます。

八代集という区分は、早くは、南北朝時代の武将・歌人である今川了俊の諸著に見ることができます。

これらの和歌集は、前代の漢文学の象徴ともいえる六国史や、勅撰漢詩文集の美意識や表現方法を、我が国固有のものへと昇華させたものです。

特に、第四勅撰和歌集「後拾遺和歌集」のあたりから、これまでの王朝和歌だけでなく、口語や俗語による世俗社会の情景を詠んだ連歌が多く見られるようになっており、勅撰和歌集は、ここで一つの転換期を迎えています。

「後拾遺和歌集 新風と「をかしき風躰」」実川恵子(著)

因みに、時代区分では、「千載和歌集」以降を、中世とするのが一般的です。

定家没後も、勅撰集は作られ続け、1439年の「新続古今和歌集」まで、合計21種の勅撰集が存在しています。

これらを合わせると歌数は、約35,000首、作者は、約3,000名(よみ人知らずを除く)となります。

因みに、室町時代で中止となってしまったのは、応仁の乱で京都が焼け野原になってしまったため、歌集の編纂をやってる場合ではなかったのと、古い本が多く失われてしまったからです^^;

[百人一首]

百人一首は、「古今和歌集」から「続後撰和歌集」までの十冊の勅撰集から採られています。

勅撰集は、天皇の勅命や上皇の院宣によって、編纂され、権威あるものとみなされています。

平家の都落ちに際して、平忠度は、藤原俊成を訪れ、新しい勅撰集に一首でも選んでいただければと一巻の歌集を託していきました。

これは、「平家物語」にも書かれている有名なエピソードです。

命の危険を冒してまで引き返してきたのは、歌人としての名誉のためだったといわれています。

俊成は、「千載和歌集」に忠度の歌を一首選びましたが、作者名はなく、よみ人知らずとなっています。

他にも平経盛(=清盛の弟)等の平家の武将の歌はよみ人知らずとされており、政治的な配慮が感じられます。

「千載和歌集」は、文治四年(1188年)の成立。

三年前の壇ノ浦の戦いで平家は滅び、朝廷は、頼朝に東国の守護・地頭の任免権限を与えていました。

まさに鎌倉幕府が誕生しつつあった時期にあたり、歌集に新政権の旧敵の歌人名を載せるのははばかられたのでしょう。

出典:『小倉百人一首』あらかるた

[古今和歌集]

1番目の勅撰和歌集で、醍醐天皇の命を受け、紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑が撰した我が国最初の勅撰和歌集です。

なかでも紀貫之が編集の中心となって活躍したと言われています。

従来の和歌は、恋愛・遊宴等の私的な世界を詠んでいましたが、この頃になると、我が国の風物を描いた大和絵屏風の画賛を詠んだ屏風歌や、左右に分かれて勝負を競い合う歌合などにより、宮廷歌へ変質していったと考えられています。

本集は、和歌に関する撰者の見解や、本集の成立経過などを記した序文と、春(上・下)、夏、秋(上・下)、冬、賀、別離、羇旅、物名、恋(一~五)、哀傷、雑(上・下)、雑体、大歌所御歌・神遊びの歌・東歌の20巻、約1,100首の歌からなります。

そして、このような構成は、その後の勅撰和歌集にも多く踏襲されていきました。

つまり、本集は、以後の和歌集、ひいては、日本文化の規範となった書ともいえるのです。

[後撰和歌集]

2番目の勅撰和歌集で、村上天皇の命を受け、藤原伊尹・清原元輔・紀時文・大中臣能宣・源順・坂上望城が、天暦9年から天徳2年正月までの間に撰した和歌集です。

[拾遺和歌集]

3番目の勅撰和歌集で、「後拾遺和歌集」の序文には、花山法皇の撰と記されていますが、その成立事情や撰者については、不明な点が多い和歌集です。
ただ、当時の公卿で歌人としても有名な藤原公任が撰した「拾遺抄」(10巻本)が増補されてできたこと、さらには、作者の官位の表記や収録されている歌の詠作年時などから見て、寛弘2(1005)年6月から同4年正月までの間に作成されたと考えられています。

[後拾遺和歌集]

4番目の勅撰和歌集で、白河法皇の命により、藤原通俊が応徳元(1084)年から同3年9月までの間に撰した和歌集です。

[金葉和歌集]

5番目の勅撰和歌集で、白河法皇の命により、源俊頼が天治元(1124)年以降に撰した和歌集です。

[詞花和歌集]

6番目の勅撰和歌集で、崇徳上皇の命により、藤原顕輔が天養元(1144)年から仁平元(1515)年までの間に撰した和歌集です。

[千載和歌集]

7番目の勅撰和歌集で、後白河法皇の命により、藤原俊成が寿永2(1183)年2月から文治5(1189)年8月頃までの間に撰した和歌集です。
一条天皇の正暦年間(990~95)から後鳥羽天皇の文治年間(1185~90)にいたる17代、約200年間の歌を収録するとともに、文治3年3月に後白河法皇が高野山で保元の乱以来の戦死者の追善法要を行ったことに基調を置く、詠嘆述懐調の歌が多く収められているのが特徴です。

[新古今和歌集]

8番目の勅撰和歌集で、後鳥羽上皇(1180~1239)の命により、源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮らが,建仁元(1201)年7月から元久2(1205)年3月までの間に撰した和歌集です。
但し、改訂作業は、その後も続けられました。
序文に加え、春(上・下)、夏,秋(上・下)、冬、賀、哀傷、離別、羇旅、恋(一~五)、雑(上・中・下)、神祇、釈教の20巻、約1980首の歌からなっています。
本集には、感覚と想像力を高揚させた歌が多く、歌集全体が優雅・優艶・華麗であることを特徴としていますが、また、時代を反映した幽寂な歌も収録されています。
「古今和歌集」と共に、八代集のなかで最も尊重され、中世の歌学思想に多大な影響を与えました。
加えて、中世後期には、連歌の文学的源泉となるとともに、謡曲などにも用いられました。
また、本集が尊ばれる最大の理由としては、その撰者の一人に、中世歌壇の指導的位置を占め、その大宗として、大いに崇敬を受けた藤原定家がいたことがあげられます。

前述の通り、時の帝が、当代の代表的歌人=批評家に、昔と今、貴族から遊女に至迄の秀歌を選ばせ、名作選を作らせました。

そして、国民は、それによって、四季の情趣はどう味わうべきか、諸国の名所は、どう褒めればいいのか、恋ごころは、どう表現すればいいのかを、学ぶことができたんですね。

そういう感受性と言葉づかいの教科書が、何世紀にも渡って続いてきた国に生まれたことを嬉しく思っています(^^)

今、私達は、先人達のおかげで、オクタビオ・パスに、お世辞を言われるだけの資格があるのだと思います。

しかしながら、共同体が勅撰集・詞花集・詞華集によって詩情を教える風習は、残念ながら明治維新以降、あまり活況を呈しているような状況にはなく、真に、もったいない出来事ですね^^;

<参考記事>

そんな環境下にあって、大岡さんの「折々のうた」は、古典および現代の専門歌人、俳人の作はもとより、文学を業としない人々の歌と句、狂歌、川柳、歌謡、中学生たちの短歌、それに、また、台湾の日本語歌人たちの作までも収めて、長きにわたるわが短詩形文学の富を誇っています。

さらには、歌学(詩の批評)の伝統をも。

まだ、一度も触れたことのない方は、是非とも、触れ合って頂きたい本かなって思っています(^^)

「折々のうた 春夏秋冬・春」大岡信(著)

「折々のうた 春夏秋冬・夏」大岡信(著)

「折々のうた 春夏秋冬・秋」大岡信(著)

「折々のうた 春夏秋冬・冬」大岡信(著)

「星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句」(岩波少年文庫)大岡信(編)柴田美佳(イラスト)

最後に、こんな素晴らしい文化があるのだから、みんなでも良いし、個人的にでも良いので、詩歌を通じて、他者とつながる機会を持つもの素敵だし、

みんはい短歌ネプリ『みんうた』完成しました!
https://note.com/rira_ikeda/n/n67243bce904f

自分の好きな短歌や俳句で勝手に勅撰集・詞花集・詞華集を作っても面白いと思うので、もっと自由に楽しんだらいいんじゃないかって、そう思います(^^)

【勝手に賞】みんなの俳句大会「Award for Most Beloved Word 2023」&みん俳選句集付
https://note.com/bax36410/n/nbdf056a04ce5

【備忘録】2023年度版trafalgar・選短歌集
https://note.com/bax36410/n/n49baf4001888

「詩的思考のめざめ 心と言葉にほんとうは起きていること」阿部公彦(著)

R.アーン:私の詩に翼があったなら(2つのチェロとピアノ編)

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つぶやくスタイルは?
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朝顔、蝉、蛍、時代の情操と音律。
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【「みんなの俳句大会(ライラック杯)」版バックナンバー】

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【川柳(その2)】「形のないもの」
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【俳句(その2)】「心の中に花束を」
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【短歌(その2)】「枸橘の棘に守られて咲きたる白き花達」
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【短歌(その3)】「10代(以下)のみんな」に送るメッセージ&アドバイス「どの雲にも銀の裏地がついている」
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【俳句?川柳?(番外編)】「武器を持たないチョウの戦い方」
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【改訂版(創作秘話追記)】【ライラック杯:川柳部門】「みんはいとうけつせん」😁第十三世界からリーパー参戦(参加)します!
https://note.com/bax36410/n/nedfd8ae364e4

【ライラック杯:俳句部門】「みんはいとうけつせん」😆原初世界から機工士参戦(参加)します!
https://note.com/bax36410/n/n2ab5c6ae18e6

【改訂版:「オッカムの剃刀」タイム(俳句・短歌)のススメ】【ライラック杯:短歌部門】「みんはいとうけつせん」🤣第一世界からナイト参戦(参加)します!
https://note.com/bax36410/n/n65e8fef60c09

【ライラック杯スピンオフ企画:ライラックぽん】「私らしい、私になる。」を漢字一字で表して、その漢字で選んだ短歌(その1)を「うた」で祝う♪
https://note.com/bax36410/n/n00e5c1855d9a

【ライラック杯スピンオフ企画:ライラックぽん】「私らしい、私になる。」を漢字一字で表して、その漢字で選んだ川柳を「うた」で祝う♫
https://note.com/bax36410/n/n6e814ed5ccbd

【ライラック杯スピンオフ企画:ライラックぽん】「私らしい、私になる。」を漢字一字で表して、その漢字で選んだ短歌(その2)を「うた」で祝う♬
https://note.com/bax36410/n/nc0680c3a2ef3

【ライラック杯「勝手に賞」】勝手に改め「思いのまま勝手に出す賞」(蔵出し編)
https://note.com/bax36410/n/nd234fde1574e

【追記3版】【御礼返歌追加】ジャイアニズムのジャイアンに倣って歌って(*´○`)♀~♪お礼(返歌)させて頂きます!
https://note.com/bax36410/n/n51af3d5e6d9a

【コトバンク】

https://kotobank.jp/

精選版 日本国語大辞典 「川柳」の意味・読み・例文・類語
せんりゅう センリウ【川柳】
[1] ⇒からいせんりゅう(柄井川柳)
[2] 〘名〙 (「川柳点」の略) 江戸中期に発生し、一七音を基準として機智的な表現によって、人事、風俗、世相などを鋭くとらえた短詩型文学。もともと俳諧の「前句付(まえくづけ)」に由来するが、元祿(一六八八‐一七〇四)以降、付味よりも、滑稽、遊戯、うがちなどの性質が拡充された付句の独立が要求されるようになり、一句として独立し鑑賞にたえる句を集めた高点付句集が多く出版され、新しい人事詩、風俗詩となった。享保(一七一六‐三六)頃から、点者の出題に応じた「万句合(まんくあわせ)」が江戸で盛んになり、その点者、柄井川柳が代表的存在であったところから「川柳」の名称が生まれる。文化・文政(一八〇四‐三〇)頃、「狂句」とも呼ばれた。川柳点。
※黄表紙・金々先生造花夢(1794)「仰向いて搗屋(つきや)秋刀魚(さんま)をぶつり食ひ、とは川柳の名句であった」

精選版 日本国語大辞典 「俳句」の意味・読み・例文・類語
はい‐く【俳句】
〘名〙 (「俳諧の句」の略) もと俳諧連歌の第一句(発句)が独立してできたもの。元来は俳諧連歌の発句および連句の句をさしていっていたが、明治にはいって正岡子規が発句のみを意味する語として使うようになってから一般化されるようになった。五七五の三句一七文字で完結する日本独特の短詩で、季(き)を入れるならわしであるが、季語の撤廃や定型を破った自由律の主張などもみられる。
※俳諧・虚栗(1683)序「翻レ手作レ雲覆レ手雨 粉々俳句何須レ数」

精選版 日本国語大辞典 「短歌」の意味・読み・例文・類語
たん‐か【短歌】
〘名〙
① 和歌の一体。長歌に対して、五七五七七の五句から成るもの。みそひともじ。みじかうた。
※万葉(8C後)二〇・四四七一・題詞「冬十一月五日夜、小雷起鳴、雪落二覆庭一、忽懐二感憐一、聊作短歌一首」
② 主として中世歌学において長歌の誤称。
※俊頼髄脳(1115頃)「次に短歌といへるものあり。それは五文字・七文字とつづけて、わがいはまほしき事のある限りはいくらとも定めずいひつづけて、はてに七文字を例の歌のやうに二つつづくるなり」
③ みじかい詩。
※空華集(1359‐68頃)六「詩帯二岷峨気一、学兼二洙泗文一、短歌蒙二拊撃一、蕪語辱二鋤斤一」 〔魏文帝‐燕歌行〕
補注 「古今和歌集」の諸本で、巻第一九雑体の始めにある長歌に「短歌」と記されている。古今集を絶対視する考えから、これを正しいものとして、中世歌学では長歌を短歌、短歌を長歌と呼ぶ説が行なわれたもの。

【後書き】

【エッセイ】日本の美意識
https://note.com/bax36410/n/n8ad7bfb1cd23

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