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【個性的な作曲家がいっぱい】悪妻をもらった作曲家

私たちの周囲でも時折耳にする悪妻。

どういう妻を、そういうのか定義するのは難しいけれど、幸せな家庭を夢見て結婚した筈の相手が、実際には、とんでもない人だった。

思っていたのとは、正反対の人だった、というような場合などは、悪妻といってよいに違いない(もっとも、それは夫の側にも、問題があるのかもしれません。)のかもしれませんね(^^;

音楽史をひもとくと、この悪妻をもらったことで有名な作曲家というのが、何人かいます。

例えば、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ピョー トル・チャイコフスキー、W・A・モーツァルトらです。

とりわけ有名なハイドンの場合は、こうでした。

交響曲や弦楽四重奏曲の基礎を固めたことで知られる彼は、ボヘミアの貴族モルツイン伯の宮廷楽長をしていた28歳の時に結婚したのですが、相手は、かつら屋の二人娘の姉マリア・アンナ・アロイジアという女性です。

当初は、妹の方に恋したのですが、プロポーズ直前に、彼女は、修道院へ。

がっかりしているところに、姉をすすめられて、よく考えずに結婚してしまったのでした。

ところが、彼女は、顔のまずさはともかく、怒りっぽくて、やきもちやき。

家事もできないうえに、夫の職業にもまったく無関心。

せっかく書きあげた楽譜を、平気で包み紙に使ってしまったり、髪のセットに丸めてしまう。

結婚できれば相手などはだれでもよい、といった調子の自分勝手な女性であったそうです。

当然、その仲は、うまくいかなかった筈でしたが、結婚翌年に、名門エステルハツイ家の副楽長に なったこともあって、表面上は別れず、その代りに、宮廷楽団で知り合った若いソプラノ歌手ルイジア・ポルツェリといい仲になったそうです。

そして、妻が亡くなると、ルイジアに対し、他の女性と結婚しないこと、年金を払うこと等の念書を書いて、結婚はしなかったものの、それを誠実に実行したのでした。

チャイコフスキーとモーツァルトの場合は、一般に言われていた悪妻説とは、ちょっと、ニュアンスが違います。

チャイコフスキーが結婚したのは、1877年、37歳の時ですが、これは、モスクワ音楽院教授時代の教え子アントユーナ・ミリューコヴァ(28歳)から、一方的に求愛されて、半ば、同情から、一緒になったといわれるものです。

しかし、彼女は、ただ激情的なだけで、知性がなく、神経質なチャイコフスキーとは、直ぐに合わないことが明らかとなり、ノイローゼになった彼は、自殺をしようと、冬のモスクワ川に入水したりしました。

結局、別れたのですが、一説によると、チャイコフスキーには、同性愛の趣味があり、結婚は、それを隠すためだったとも言われています。

離婚後のミリューコヴァは、悲惨で、精神的に異常をきたした彼女は、やがて、精神病院に収容されて、一人淋しく亡くなったそうです。

一方、モーツァルトの妻コンスタンツェも、従来は、悪妻とされてきました。

それは、何にでも、金を使ってしまう浪費癖や、家計のやりくりが下手で、浮気っぽいこと。

加えて、モーツァルトの死後、その埋葬にも立ち会わず、17年後になって、ようやく墓参りに行った、という理由に依るのですが、浪費癖は、モーツァルトも同じで、2人の仲も、決して、悪くはなかったそうです。

そんな妻を、モーツァルトは、最後まで愛していたらしいことからも、必ずしも、悪妻とは言えないようです。

モーツァルトもまた、ハイドンと同じ様にに、2人姉妹の1人(「魔弾の射手」で有名なウェーバーの親戚筋)であるコンスタンツェと結婚(1782年)したのですが、当初は、姉のアロイジアに恋し、ふられた結果、妹に切替えたのだそうです。

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