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【宿題帳(自習用)】セレンディピティは思わぬ発見をする特異な才能


富久浩二さん撮影

図書館情報学用語辞典 第5版でセレンディピティを検索してみると、以下の説明がでてきた。

セレンディピティ(読み)せれんでぃぴてぃ(英語表記)serendipity
偶然に思いがけない幸運な発見をする能力,またはその能力を行使すること.
この能力により,失敗した実験の結果から予想外の有用なデータや知識を得たり,検索結果を点検しているときにノイズの中から偶然に当初の目的とは異なる価値のある情報を発見したりできる.
ただし,すべてが偶然や幸運に依存するのではなく,有用なデータ,情報に気付くための基盤となる潜在的な知識や集中力,観察力,洞察力を要する.
英国の小説家,ウォルポール(Horace Walpole 1717-1797)がスリランカの昔話『セイロン(Serendip)の三王子』(Three Princes of Serendip)にちなんで造った語といわれる.

れっきとした英単語として存在するセレンディピティ。

流行語のイメージがあるが、語源は古く、18世紀に遡る言葉で、スリランカの寓話「セレンディップと3人の王子」に由来する。

ニュートン、アルキメデス、メンデル、ジュール、アインシュタイン等々。

歴史上の発見が偶然の産物だったという逸話はよく聞くし、近年では、ノーベル賞受賞の報がある度に、受賞者や評論家がセレンディピティを口にする場合があった。

何種類かの辞典を確認した結果、少し驚いたのだが、セレンディピティは、能力であると定義されている。

能力であるならば、意図的に磨くことができるとすれば、その能力を育てるアイデアを学んでおけば良いと考えられる。

そうであれば、世の中には、本物と偽者のセレンディピティが存在し、厳密に切り出して考えるには、ふたつを区別しておく必要があるのではないかということである。

大きな成功を収めた場合、特に、日本社会は、偶然や他者との出会いに起因することにして、その成功を説明した方が、社会的に受容されやすいと考えられる。

話題としても物語性があるので、メディアが取り上げ、話が伝播しやすいと推定できる。

つまり、意図的にせよ、無意識にせよ、成功を物語化するプロセスで、セレンディピティを発見、作成、拡大してしまっている可能性を感じる。

これも、セレンディピティに含めても、広義では問題はないが、育てる能力として見るならば、偽者として排除しておくべき例だと考えられる。

本物のセレンディピティは、私は、次のようなものではないかと考えている。

「性格や行動特性、ツキとアウェアネス情報によるセレンディピティ。」

そこで、偶然の発見が高確率で発生するには、ふたつの条件が必要なのではないかと思う。

ひとつは、経験の豊富さであり、もうひとつは、経験から意味を見出す能力である。

この2要素の積を、常時、高い値に保つ能力が、セレンディピティなのではないか?

以前、ツキを科学する経営本が、売れていた時期が有った。

「強運の法則」西田文郎(著)日本経営合理化協会(編)

これらの本も、セレンディピティの能力を高めることと同義のような気がしている。

ポジティブシンキングというのは、状況を肯定し気分による機会損失を最小にすることにあるのだとしたら、経験の豊富さの技術である。

社会関係の技術としては、アウェアネス情報による機会拡大が有効なのではないか?

自分の関心や行動を他者の目に触れるようにしておくことで、予期せぬ展開の確立が高まる。

強い関心を持ち続けることで、状況から意味を見出すことが多くなるということも、重要な要素だと思う。

脳は、無意識のうちに情報処理を行っている。

脳は、雑踏の中で呼ばれた自分の名前を認識するカクテルパーティ効果のように、関心のあるテーマには認知レベルで敏感に反応することができる。

余談だが、セレンディピティの反対語は「Japanity(ジャパニティ)」で、「誰もが やっていることを追いかけて、必然のところで発見する能力」のことであり、海外の学者が日本人研究者を揶揄した言葉らしいが、「パラダイム」を発明したトーマスクーンの科学論でいうなら、”Japanity”は「通常科学」の技術である。

これはこれで重要で、パラダイムシフトを起こすようなイノベーションばかりでは、科学もビジネスも動かないと考えられる。

むしろ、セレンディピティで語られるような成功の土台は、”Japanity”によって築かれているようにも感じる。

人間の機会の増大や人脈拡大に役立つインターネットは、セレンディピティ技術だと言えると思う。

そう言えば、昔、話題だったOrkut(オーカットまたはオルカット)などのソーシャルネットワーキングは、正に、その時代における先端なのではなかっただろうか。

だから、セレンディピティって言葉が注目されていたのだろう。

そんな大それた事じゃなくても、日常の生活の中でも、そんな偶然ってありえる。

それを偶然と考えないで、なにか楽しいことの「お告げ」と考えたら楽しいと思う。

たまには神様を驚かせてみるのも、新しい発想を得るにはいい方法ではないだろうか?

これからも偶然を楽しみにしていきたいと思う。

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