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【霞始靆随感禄】大切なことは間違い探しでは見つからない
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時に、私達は、様々な場面で、自分が、当たり前だと思っていた世界が、相対化されてしまうような出来事に出会い、困惑する。
時に、私達は、苛立ちや、葛藤を、抱えることがある。
時に、私達は、問題や課題の中身を整理していくと、その根本は、人間関係の悩みだったりする。
例えば、その人間関係の悩みの解決方法として、
「相手を変えたい」
「変えさせたい」
等とすると、大抵の場合において、希望とは、正反対の結果が残る。
こちらの
「こうしたら絶対いいのに」
は、相手には、よくて
「大きなお世話」
と捉えられるか(よくて、と言うのは、こうしたらいいのに、というこちらの願望は、伝わっているという意味において)、共すると、何を言っているのかすら、理解されない。
人は、皆、違うのだ。
人には、それまで歩いてきた、生き方がある。
意識していようがしまいが、それぞれに、信念を持っている。
果たして、それが異なる相手に、こちらの一方的な
「こうしたらいい」
が届くだろうか。
自分の考え方を変えようと、改めようとした時、大きな痛みが、伴わなかっただろうか?
自分の生き方を変えようと、挑戦した時、葛藤や勇気、時間が、必要ではなかっただろうか?
そんな大袈裟なことでなくでも、それまで、慣れ、親しんだ習慣を変えようとした時、頭では、分かっていても、体や心は、ついてこない、などと言う経験は、なかっただろうか?
相手にのみ、
「視点を変えさせること」
の、滑稽さに、自分の傲慢さに、目を背けてはいけない。
然し、この
「何かうまくいっていない」
という状況は、とんでもないチャンスである。
相手が乗っかるかは、相手の選択だけれども、
「何かうまくいっていない」
ことへの自分の向き合い方を、探っていく。
相手の考え方を。
相手の生き方を。
そして、自分の考えを。
自分の生き方を。
相手との関係性を。
それまでの
「正解」
「間違い」
ではないところにある。
それまで、語り得なかったことを、語るチャンスである。
言葉にしてこなかったことを語るのだから、うまく言葉にならなくても当然。
大切なのは、
「なんとか伝えようと、どうにか言葉にしようとする」
その行為そのものにあるのではないかと思う。
何かを乗り越えようと、
「新しい物語」
を紡ぎ出そうとする。
その語るということは、
「自分次第」
であり、変化していくこと、そのものに挑む、一連のプロセスの過程にあり、発生し続ける。
大切なことは、テキスト化された誰かの正解や、間違い探しでは、見つからないモノたちへの探求心。
例え、当初、求めた結果が得られなくても、必ずそこには、それまでとは違う、世界の一片があると、私たちは、信じて歩いて行く事が、大切ではないだろうか。