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【宿題帳(自習用)】専門と学際
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ノアの方舟は、素人が造り、タイタニックは、専門家が造った。
何かの専門家というと、それだけで完結しているような気がするが、専門家だから間違わないということはありえない。
セレンディピティを可能にするには、学際的(interdisciplinary)な考えを持つことも大切である。
人類学と言語学とか近い分野だけでなく、まるで違う分野と考えを交信しあうことも重要だ。
現在、商売の方においては、当たり前に異業種交流が盛んになっているが、学問の方は、まだまだ「たこつぼ」に入ったきり、一歩も踏みだそうとしない学者も多い。
初めての自動焦点カメラを開発する時に、焦点を調整するモーターが、なかなかコンパクトに納まらず、困ったという。
開発していたのは、電気系の技術者だったそうだが、そこへ機械系の技術者が来たら、「どうしてゼンマイを使わないのだ」と言われて、ゼンマイで廻すことで開発に成功したという。
電気系の人は、モーター、機械系の人は、ゼンマイが最初に思い浮かぶものらしい。
いずれにしろ、自分の固い殻に入っていては、何も生み出せない。
学際的というと大げさだが、サイードは、「知識人とは何か」で、「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」といい、知識人には二つの道が開かれている。
「知識人とは何か」(平凡社ライブラリー)サイード,エドワード・W.(著)大橋洋一(訳)
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専門主義とアマチュアリズム。
しかし、「一般的な教養を犠牲にして、人を特定の権威なり規範的な考えかただけに迎合させる」専門主義を選ぶと、「専門家という地位を確保するためにすべてを犠牲にした結果、自発性の喪失がおこり、他人から命じられることしかしなくなる」。
そして、これに「ゆさぶりをかけるもの」がアマチュアリズムだという。
山口昌男は、日本の文化英雄の一人だと思うが、際だった特徴は、学際性、つまり、知的横断性、クロスオーバーだった。
まっとうな学者は、領域侵犯などしないものだから、嫌う人も多かった。
しかし、社会に新たな価値を創造するためには、山口のような「いかがわしさ」がどうしても必要だった。
これについて、四方田犬彦が、次のように反論している。
「専門外のことについて思い切った発言をすることは、気楽なように見えて、実のところひどく危険で勇気のいることなのである。
第一、どこから批判や反論の球が飛んでくるのか、見当がつかない。
たとえばぼくは社会的には映画史が専門ということになっているが、それでは在日韓国人や国際紛争の問題について発言するとき、専門外のことだからといって気楽かというと逆である。
いったいどんな人間によって自分の書いたものが読まれ、理解され、あるいは誤解されるか、というリスクを背負いながら書かないわけにはいかない。
その点、国際関係論の専門家は学問という「客観性」に守られ、多くの専門語という武器を携えているかぎりにおいて、ぼくよりもはるかに安全で安定した地点から発言できるだろう。
だが、とぼくはいわせてもらおう。
専門(あるいは業界といいかえてもいい)という砦に閉じこもっているかぎり、どうしても口にしてはならない言葉が存在している。
それは「王様は裸だ!」と叫ぶことである。」
自戒を込めていうと、エンジニアとして一つの職業だけを続けていると、その中の思考法にすっかり浸かってしまうことがある。
違う世界で、少しでも仕事をすると、エンジニアとしての自分の位置が見えてくることがある。
自分のいる業界になれてしまって、視野が狭くなる。
「二足のわらじ」と昔はいったものだが、複眼的思考を持つ必要がある。
「「複眼的思考」ノススメ 調和が必要な変革の時代を迎えて」長倉三郎(著)
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「知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ」(講談社+α文庫)苅谷剛彦(著)
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「思考力改善ドリル 批判的思考から科学的思考へ」植原亮(著)
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別に、副業に就かなくても、違う業種の人や、価値観の人と話すことは大切だ。
ホームページを持つことも、複眼的思考の鍛錬となる。
一つの趣味なりを前面に出すと、必ず同調する人がいて、その人は、まるで別の観点から趣味を見ていることがある。
少なくとも、他流試合で揉まれることになる。
欧米では、科学者の「アウトリーチ活動」という言葉が日常的に聞かれる。
「実践!アウトリーチ入門」高木俊介/藤田大輔(編)
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「重い精神障害のある人への包括型地域生活支援 アウトリーチ活動の理念とスキル」(学術叢書)三品桂子(著)
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科学者が市民との対話を通じて市民のニーズや疑問、不安を認識することまで含めた活動を意味するという。
英国では、科学研究助成機関が研究者にアウトリーチ活動を義務付けたり、研究者の昇給基準にしたりしている。
米国でも成立したナノテクノロジー法が、アウトリーチ活動をナノテク研究の一環と位置付けたように、重要視されている。
日本でも「出前授業」や「一般公開」といった形で実施されてきたが、どちらかといえば、単なる一方向の広報活動になっていることが多い。
むしろ、欧米の「カフェ・シアンティフィック」のように、カフェやバー、書店などで少人数の参加者が科学者と気軽に対話する試みが望ましい。
生活に密着した場で、科学を語りあうことは、市民が科学を文化として楽しむきっかけにもなる。
そして、新たな発見につながっていくはずだ。
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