【メモランダム】《原理原則》
《原理原則》についてのメモランダムです。
ビジネスに奇跡を信じてはなりません。
もちろん、運というものはあるでしょうが、根本原理は必ず通る、という信念を持つべきです。
ものごと、ショートサイトのいろいろなことに惑わされず、ロングレンジに見れば、必ず根本原則が通ります。
日本の場合、問題はつねにその場その場で個別に一時しのぎの形で解決され、普遍的な原則、ルールの発見とか創出、確立にまで高められることが少ないように感じます。
人間は、普段考えながら働いているようだけれども、実はあんまり考えてないんです。
しかもそれに気づいていない。
だから、刺激しないと駄目なんです。
とにかく広く多面的に考えること。
感受性を錆つかせないこと。
しかも常に原理原則に立ち返ること。
人間というものは放っておいても上司や仲間の行動のモデリングから、その組織のなかでのルールを学習します。
しかし、大切なのはこの「語られない知識」を可能なかぎり明らかにして、そのなかから原理・原則を抜き出していくことなんです。
日本人は、前置きが長かったり物事を間接的に表現したり、相互に矛盾しているような言説を並べたてて、どうにでもとれるような表現をします。
一方、欧米人は物事をストレートに表現し、前置きなどなく、話を結論から切り出してくるようなところがあります。
これは、日本人に分析的精神や合理主義が欠如しており原理原則をもたないためです。
これらをもった日本人でも人間関係の制約を受けると、とたんに表現があいまいになり、煮え切らない言い方になります。
そこで、参考までに、日常を生きる上で必要な基本能力を私たちは「教え手なし」で獲得できる様に意識しておく必要があります。
例えば、日常的認知による学習の2つの条件が整理されています。
1.その「必要」は、あくまで学び手自身が、自己の現実の問題を処理する上で不可欠だと実感したものであること。
2.「必要」によって作り出された目標と、それを達成する手段として学ぶこととの間に切り離せない関係があること。
生きていく上で切実に必須となったとき、学習原理が発動するのだと思います。
日常的認知による能力は、文化的支援というBGMの上で歌うという意味でカラオケに似ています。
人間は常識を働かせたり、人に聞いたり、空気を読んだりします。
日常の強力な文脈を援助やヒントに使って、目的を達成する力があるからです。
必ずしも学校に行かなくても、立派に何事かを達成できるようになる理由なのだと思います。
人々が有能な学び手であるためには、他者の存在が必要なこと。
その他者とは、関心を共有するが視点の異なる人がよく。
必ずしも知識のより豊富な人であるには及ばないのではないかと推定されます。
但し、日常の学習では専門科学のように原理原則からの深い対象理解は不可能という見方もあります。
英会話やお金の計算ができるようになっても浅い理解にとどまって、言語学者や数学者にはなれないのではないかという考え方です。
しかし、個人にとってそれが重要な分野で、既有知識を持つ場合には、知的好奇心が働いて深い理解が容易になることもわかってきました。
内発的動機の学び手の学習効果は極めて高くなるからです。