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【LAWドキュメント72時間】語源に学ぶ「しあわせ」のかたち

「為合わせ」

「仕合わせ」

「幸せ」


中島みゆきさんの

「糸」

に、こんな一節がありましたね。


「縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき糸に 出逢えることを

人は 仕合わせと呼びます」


「幸せ」

ではなく、

「仕合わせ」

と表現し、さらに、語源を、きちんと意識した、とても深いフレーズになっています。


明治時代に、

“happiness”

の訳語に、

「幸福」

を充てたあたりから、

「幸せ」

と書くようになったようですが、以下の通り、

「幸」

の成り立ちを知ると・・・


「象形。

手枷の形。

古い字形からいえば、両手にはめる刑罰の道具である手枷の形である。

(中略)

幸はおそらく倖(さいわい)の意味であろう。

手枷だけの刑罰ですむのは、僥倖(思いがけない幸せ)であり、重い刑罰を免れるというので幸というのであろう。」(白川静「常用字解」より)

こんな幸せって、嫌ですよね(^^;


では、もともと

「しあわせ」

は、どのように記述されていたのかに関して、本書を参考にして、

「しあわせる力 禅的幸福論」(角川SSC新書)玄侑宗久(著)

その由来を、簡単に紹介させて頂くと、

■為合わせ(奈良時代)

私がすることと、誰かのすることが合わさる。

当初の誰か(相手)とは、天。

■仕合わせ(室町時代)

相手が天ではなく、人間に変わった。

人と人との関係がうまくいこくことを「しあわせ」と呼んだ。

※「試合」もかつては「仕合」と書いていた。

■さいわい

語源は「さきわい」。

にぎやかにいろいろな花が咲いている状態。


ここで、経済学における

「人の幸せ(効用)」

について振り返ってみると、

「消費量に比例して増加する」

みたいな主張が一般的だと信じられているのではないかと思われるけど、本書を読むと、そんなのは間違いだったと、認識を、新たにさせられます(^^;

「10万年の世界経済史 上」グレゴリー・クラーク(著)久保恵美子(訳)

「10万年の世界経済史 下」グレゴリー・クラーク(著)久保恵美子(訳)

「経済史からわかる驚くべき事実は、物質的な豊かさや、子供の死亡率の低下、成人の平均余命の延長、不平等の改善などが実現したにもかかわらず、現代人は狩猟採集時代の祖先に比べて、少しも幸福になっていないことである。」(グレゴリー・クラーク「10万年の世界経済史」P38より)


経済的な豊かさとは、

「人生の自由度が増す」

だけで、それが、幸せにつながるかどうかの話は、また、別問題なんですね。

私たちは、

「足るを知る」

ことがむずかしい生き物だから。

どうしても、経済的な豊かさがもたらす幸せに、盲従してしまうクセを、植え付けられているため・・・

追いかけても、追いかけても、いつも、少しだけ先にあって、手が届かないモノ達で、周りが溢れかえっています(^^;


「他者と仕合うことがうまくいった、そういうことでしあわせを感じる。

他者の振る舞いと合わさって、思ってもみないことが起こり、その巡り合わせを楽しいと思った。

本来の日本人が感じる「しあわせ」というのは、そういうことだったのではないでしょうか。」(玄侑宗久「しあわせる力」P111より)


本当の幸せは、良く言われる通り、やはり、

「お金」

どうこうではなく、

「人と人との間」

にあるのでしょう、ね。

それは、たぶんに、

「偶然の積み重ね」

にすぎない人生に、

「運命」

を感じるような出逢い。

「幸せについて」谷川俊太郎(著)

そんな瞬間に、たくさん出逢えるのが、本当の幸せということなのかもしれませんね。

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