【白雨随感禄】いかにして「神」は現実となるのか
「リアル・メイキング いかにして「神」は現実となるのか」ターニャ・M・ラーマン(著)柳澤田実(訳)
この世には、
■神を信じるもの
■神を信じきれないもの
■神を信じないもの
の三通りの人間しかいないのだそうだ。
たぶん、神を信じきれない人の数が、圧倒的に多いのだろう。
日本では、残念ながら、日本以外の国の方たちの
『神』
に対する考え方はわからない。
「神を信じますか」
という問いの意味は、
『神の存在』
を信じますかという意味だと思う。
そして、その
『神』
が
『今』
ここに実在するのかという意味である。
急に哲学的になるけれど、私たちが、常に問題としているのは、
『今』
しかない。
だから、知りたいのは、
『神』
は、
『今』
ここにあるか、ということなのである。
国語辞典においては、
「哲学で、世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在。」
というのが、
『神』
の解釈である。
信じる信じないは別にして、
『神』
は、普通の解釈でも、哲学的な解釈としても、
『ある』
のである。
つまり、
『神』
は存在する。
そう考える方が合理的である。
もちろん、
『神』
とは何ぞやという
『問い』
には答えていない。
これは、宇宙の真理として、
『ある』
ものは、
『ある』
し、
『ない』
ものは、
『ない』
のである。
信じるとか、信じないとかの次元のものではない。
コペルニクスの地動説、アインシュタインの相対性理論、最近話題の量子力学、全てが、とうの昔から
『ある』
現象に過ぎない。
私たちは
『今』
『ある』
状態で生きている。
信じる、信じない、わかる、わからないは、かってである。
しかし、この世もあの世も、この宇宙は、
『今、ここに、ある』
それだけなのだ。
今、私が、ここにあるように、神も、今、ここにある。
しかし、その神が、人間を超えた存在で、人間に対して禍福や賞罰を与えるものなのか、世界や人間の在り方を支配する超越的・究極的な最高存在なのかは、私にはわからないのである。
本書がユニークなのは、例えば、
「(神が)現実に存在するか否か」
という二項対立を問うのではなく、
「現実(リアル)はいかに創造(制作)されるのか」
と問い、そのメカニズムに迫るところである。
科学全盛の現在でも、人々は、
“非科学的”
な何かを追い求める傾向があるように思う。
例えば、メタバースのような技術が一般化した時、人々にとっての現実は、どう変化するか。
時間をかけて、じっくり考えながら読みたい一冊だと思った。
■参考図書
「魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす」森本あんり(著)
目 次
Ⅰ 実存の闇
1 名付け――『ファーブル昆虫記』
2 口火――「良い書物」
3 破局――『CQ ham radio』
4 スタンド・バイ・ミー――村松喬『教育の森その後』
5 宗教は阿片だ――マルクス『ヘーゲル批判』
6 内面の共同建築師――森有正『ドストエーフスキー覚書』
Ⅱ 諸宗教の光
7 非存在の淵――波多野精一『時と永遠』
8 預言者――ウェーバー『古代ユダヤ教』
9 魂のリズム――井筒俊彦『 「コーラン」を読む』
10 「弱さ」の自覚――『大パリニッバーナ経』
11 会議の精神――大木英夫『ピューリタン』
Ⅲ 遍歴する神学
12 日本発の世界的神学――北森嘉蔵『神の痛みの神学』
13 近代啓蒙の爆裂――バルト『ローマ書』
14 「わたしのお母さん世界一よ」――トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教史』
15 見知らぬ本が招く――エドワーズ『怒りの神』
16 存在のスキャンダル――アリストテレス『ニコマコス倫理学』
Ⅳ 遥かな成就
17 不安を引き受ける力――ティリッヒ『生きる勇気』
18 愚かな光の子――ニーバー『光の子と闇の子』
19 真理は出来事である――ブルンナー『出会いとしての真理』
20 運命と自由――バーガー『聖なる天蓋』
「救済とは、人が自分の人生を一つの物語として首尾よく解釈できるようになることである」
信仰とは何か?
神は何をなすのか?
それらの巨大な問いは、人生という小さき営みの不思議な巡り合わせによって、答えるしかないのである。