【LAWドキュメント72時間】ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2025
元日の風物詩といえばウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。
1939年に始まった同コンサートは、音楽の都ウィーンを象徴するシュトラウス一家のワルツやポルカを中心にしたプログラムを、世界最高峰オーケストラの一つ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、当地が誇る黄金の間=ムジークフェラインザールで演奏する、新年恒例のイベントですね(^^♪
1959年から始まったテレビ中継によって、一躍世界に広まり。
今や、世界90ヵ国以上で、約5000万人が視聴するワールドワイドなコンサートとなっています。
日本での人気も抜群に高く、多数のファンが、現地や放送で公演を楽しんでいます♪
また、同様のコンサートが多数開かれ、超速リリースされるライブCDで、その雰囲気を味わう人も少なくないそうです。
ちょっと、その雰囲気を、以下に記載した2025年度のプログラムで、味わってみて下さい(^^♪
指揮:リッカルド・ムーティ
演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
会場:ウィーン楽友協会黄金ホール
バレエ振付:キャシー・マーストン
衣装:パトリック・キンモンス
バレエ録画地:ゼンメリング・アム・ズートバーンホテル*、ウィーン産業技術博物館**
開演:2025年1月1日11:15(現地時間=日本時間19:15)
ヨハン・シュトラウス1世 〈自由行進曲〉op.226
ヨーゼフ・シュトラウス ワルツ〈オーストリアの村燕〉op.164
ヨハン・シュトラウス2世 ポルカ・フランセーズ〈城壁撤去〉op.269
ヨハン・シュトラウス2世 〈入り江のワルツ〉op.411
エドゥアルト・シュトラウス ポルカ・シュネル〈軽やかに、匂やかに〉op.206
― 休 憩 ―
ヨハン・シュトラウス2世 オペレッタ《ジプシー男爵》RV511序曲
ヨハン・シュトラウス2世 ワルツ〈加速度円舞曲〉op.234*
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世 オペレッタ《すみれ娘》から〈愉快な仲間の行進曲〉
コンスタンツェ・ガイガー 〈フェルディナンドゥス・ワルツ〉(編曲W. デルナー)
(N/A)
ヨハン・シュトラウス2世 ポルカ・シュネル〈あれかこれか!〉op.403**
ヨーゼフ・シュトラウス ワルツ〈トランスアクツィオネン〉op.184
ヨハン・シュトラウス2世 〈アンネン・ポルカ〉op.117
ヨハン・シュトラウス2世 ポルカ・シュネル〈トリッチ・トラッチ・ポルカ〉op.214
ヨハン・シュトラウス2世 ワルツ〈酒・女・歌〉op.333
― アンコール ―
ヨハン・シュトラウス2世 ポルカ・シュネル〈インドの舞姫〉op.351
ヨハン・シュトラウス2世 ワルツ〈美しく青きドナウ〉op.314
ヨハン・シュトラウス1世 〈ラデツキー行進曲〉op.228
解説:若宮由美さん
リッカルド・ムーティが初めてニューイヤー・コンサートを振ったのは1993年。
2025年に83歳になるムーティが7度目の登場となります。
前回の2021年がコロナ禍にあり無観客の演奏でしたが、今回は熱い声援を受けて芸域の極みを見せてくれるでしょう。
生誕200年を迎えるヨハン・シュトラウス2世の記念すべき年を彩ります。
シュトラウス家の楽曲が全体の8割以上を占め、父ヨハン1世からヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルトまでの4名の名前がみられます。
その他ではコンスタンツェ・ガイガーが女性作曲家として初めてニューイヤー・コンサートで演奏されます。
そして、ウィーン・フィルと繋がりが深いヘルメスベルガー2世です。
ヨハン・シュトラウス1世:〈自由行進曲〉op.226
Johann StraussⅠ: Freiheits-Marsch, op.226
1848 年の革命と関連がある楽曲。
初演の状況はわかりません。
しかし、彼がそれまで名前の横に書いていた「宮廷舞踏会音楽監督兼指揮者」の肩書を外しました。
序奏はシラーによる『群盗』の「群盗の歌」(第4幕第5場)と一致。
「自由に生きようぜ」という歌は、学生歌「いざ楽しまん」(ヨハン2世〈学生ポルカ〉op.263にも引用)として流布していました。
検閲が廃止された時代にリズムだけを引用し、旋律を引用しなかった理由もわかりません。
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈オーストリアの村燕〉op.164
Josef Strauss: Dorfschwalben aus Österreich, Walzer, op.164
1864年9月6日にフォルクスガルテンで開かれた祝祭演奏会で初演。
作家ジルバーシュタインに献呈。
この曲はオーストリアの田園生活を描いた同名小説に着想を得ており、1864年10月にシュピーナ社から出版されたピアノ初版譜の表紙絵は小説に由来し、玄関に座っている老農夫、孫たち、飼い犬、そして燕が田舎の理想を表しています。
のどかな曲調のためにレントラーを採用。燕を表現しているのが「鳥笛」。
1870 年 10 月 18 日に行われた彼の追悼式でも兄ヨハン2世の指揮で演奏されました。
ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ〈城壁撤去〉op.269
Johann StraussⅡ: Demolirer-Polka, Polka française, op.269
1857年12月20日に皇帝フランツ・ヨーゼフは親書でウィーンの城壁を撤去し、新たな環状道路を敷設する旨を発表。
城壁はトルコの包囲(1683)にも耐えたもの。
しかし、街の人口は上昇し、変化が必要でした。
解体作業は即座に始められ、1862年にはリング(環状)道路が誕生。
原題は「作業を進める人たち」。
11月22日に最初の妻イェッティとの新婚旅行から戻ってすぐにシュペールで〈謝肉祭の使者〉op.270とともに初演。優雅で楽しいポルカです。
ヨハン・シュトラウス2世:〈入り江のワルツ〉op.411
Johann StraussⅡ: Lagunen-Walzer, op.411
10作目のオペレッタ《ヴェネツィアの一夜》からモティーフを借りたワルツ。
ヨハン2世は2度目の妻アンゲリカがアン・デア・ウィーン劇場の監督と駆け落ちしたせいで、ウィーンではなく、ベルリンにオペレッタの上演場所を求めます。
1883年10月3日に新フリードリヒ・ヴィルヘルム市立劇場で初演。
ウルビーノ公爵が第3幕で歌う「入り江のワルツ」というアリアには、「夜、猫たちは灰色で、夜、やさしくミャオと鳴く」とありますが、この箇所に達すると観客がミャオと鳴き、それが原因でオペレッタは大失敗でした。
ウィーン初演で歌詞を変更して上演。
同ワルツの初演は1883年11月4日にウィーン楽友協会で行われた慈善舞踏会。
このワルツにはヨハンが指揮台にのぼり、嵐のような拍手を浴びました。
エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル〈軽やかに、匂やかに〉op.206
Eduard Strauss: Luftig und duftig, Polka schnell, op.206
エドゥアルトのワルツはさほど売れませんでしたが、ポルカはそうではありませんでした。
ポルカ・シュネルはテンポの速いポルカ。
エドゥアルトの目録では「ポルカ・シュネルとギャロップ」という項には 45 曲が掲載されています。
正確な数はそれよりはるかに多いでしょう。
この曲は1882年3月25日にシーズン最後の「日曜コンサート」で演奏されました。
優雅なポルカは吹いてくる風を感じさせます。
聴衆の関心をひきました。
ヨハン・シュトラウス2世:オペレッタ《ジプシー男爵》RV511序曲
Johann StraussⅡ: Ouvertüre zur Operette "Zigeunerbaron" RV511
ヨカイの『サッフィ』を基にしたシュニッツァーの台本による11作目のオペレッタ《ジプシー男爵》を仕上げます。
アン・デア・ウィーン劇場で1885年10月24日、すなわちヨハンの60歳の誕生日前日に初演。
リハーサルから数多くの観客が「嵐のような熱狂と賛辞」を送ったといいます。
クリスマスまでにヨハン2世の指揮で15回も公演が行われました。
序曲のみの演奏は11月8日にウィーン楽友協会でのエドゥアルトとシュトラウス楽団。
ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈加速度円舞曲〉op.234
Johann StraussⅡ: Accelerationen, Walzer, op.234
1860年2月14日にゾフィーエンザールで開かれた技術者舞踏会で初演。
舞踏会が直前に迫るなか、ヨハン2世はまだ手も付けず、舞踏会の委員に進捗を尋ねられ、食事のメニューの裏側にメモしたといわれています。
序奏部で機械音を模倣しており、それが第1ワルツの冒頭で正規のテンポへと加速していきます。
これを音楽用語では「アッチェレランド」といい、原題を指します。
ワーグナーとも親交を結んだコルネリウスが1861年にマリー・ゲルトナー宛の手紙で同ワルツを「一番好き」と記しています。
後年、ケルドルファーが男声合唱曲に編曲しましたが、その時の題名は〈時は金なり!〉 。
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世:オペレッタ《すみれ娘》から〈愉快な仲間の行進曲〉
Joseph HellmesbergerⅡ: Fidele Brüder, Marsch aus der Operette "Das Veilchenmädchen"
オペレッタ《すみれ娘》は1902年2月27日にカール劇場で初演され、約2年半の間に100回以上も上演された成功作。
南ドイツの街のホテルに3人の放浪芸人、歌手のハンス・ムック、奇術師のシュティーベル、軽業師のロヴェッリが潜り込みます。
そこで金の入った小箱をみつけますが、犯人は取り逃がします。
小箱の主は「すみれ娘」のヨハンア。
ムックは彼女に惚れ、ロヴェッリも女給仕人フランツィと恋仲になり、放浪をやめて金の由来を突き止め、各人がこの街で幸せに暮らすというお話。
行進曲はオペレッタの中に出てくるものです。
コンスタンツェ・ガイガー:〈フェルディナンドゥス・ワルツ〉op.10(編曲W. デルナー)
Constanze Geiger: Ferdinandus-Walzer, op.10(Arr. W. Dörner)
ガイガー(1830-90)は音楽家であった父ヨーゼフからピアノの手ほどきを受け、10歳の時に〈3つのワルツ〉op.1を初めて公開で演奏。
1845年にはヨハン1世と知遇を得て、彼の〈フローラ・カドリーユ〉op.177を献呈されました。
1848年にピアニストを諦め、アン・デア・ウィーン劇場などで歌手として出演。
1861年にザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ家のレオポルト公と結婚しました。
同ワルツは1849年春に一般公開されました。
ピアノ・ソロの楽曲でしたが、今回のためにデルナーが編曲しました。
ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル〈あれかこれか!〉op.403
Johann StraussⅡ: Entweder - oder!, Polka schnell, op.403
9作目のオペレッタ《愉快な戦争》からのモティーフを借用。
劇は1881年11月15日にアン・デア・ウィーン劇場で初演。
同ポルカは1882年2月14日のゾフィーエンザールで開かれたコンコルディア舞踏会で初演され、オペレッタから3曲、つまりヴィオレッタの行進の歌〈面白い冒険〉、第1幕の終幕の合唱〈オルガンの代わり〉からトリオ部分、「あの敵に会いたい」という歌詞に跳躍的なモティーフを付けた第2幕の導入が取り上げられました。
劇には「あれかこれか」のような二者択一の場面はなく、個人的な事情、すなわち妻の不義が関わっていたようです。
こういう事情はウィーンの人にとって公然の事柄だったといえます。
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ〈トランスアクツィオネン〉op.184
Josef Strauss: Transactionen, Walzer, op.184
1865年8月2日にフォルクスガルテンで行われた慈善演奏会で初演。
この演奏会が休暇のための最後の演奏会となります。
辞書の直訳では「株式取引」ですが、それだけの意味ではありません。
彼はこの年の謝肉祭をウィーン大学法科学生のための舞踏会で始め、〈Actionen〉(邦題では「法的措置」)を初演。
しかし、その謝肉祭中に頭の病気で初めて演奏中に気を失い、治療のため長い休暇が必要となります。
それまでずっと脳の病気の前兆と闘っていた彼の頭には〈Actionen〉が絶えずありました。
さらに、シュピーナ社のピアノ譜には愛の神が恋人同士の手を合わせる絵が描かれています。
これは情熱的な仲直りを描いたと考えられます。
同曲はダンス向きと同時に、交響的な音楽といえる面もあります。
ヨハン・シュトラウス2世:〈アンネン・ポルカ〉op.117
Johann StraussⅡ: Annnen-Polka, op.117
ヨハン1世の有名な〈アンネン・ポルカ〉op.137は1842年8月2日にフォルクスガルテンで初演。
10年が経ち、1852年。
父は鬼籍に入り、ヨハン2世が父の管弦楽団を吸収しました。
プラーターのレストラン「荒くれ男」で7月24日にアンナの日の前夜祭として初演。
とても愛らしい旋律で構成され、思わず踊りだしたくなるような雰囲気。
ハスリンガーの出版した楽譜の売り上げもよく、1852年秋にドレスデン、ベルリンなどでも、1856年にロシアのパヴロフスクに赴くようになった時も、「アンネン・ポルカの作曲家」と呼ばれました。
ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル〈トリッチ・トラッチ・ポルカ〉op.214
Johann StraussⅡ: Tritsch-Tratsch, Polka schnell, op.214
1858年夏にヨハン2世はパヴロフスクで貴族令嬢スミルニツカヤと秘められた恋に熱をあげ、ロシアの鉄道会社との契約が終わりを告げても、ウィーンに戻りませんでした。
ウィーンの人びとはそれを噂します。
原題には「噂ばなしをする」という意味が込められています。
同年3月には作家ヴァリーが風刺雑誌『トリッチ・トラッチ』を創刊。
この雑誌の名前は、1833年のネストロイによる笑劇《デア・トリッチトラッチ》に由来し、1858年にも上演されました。
ヨハンは11月24日にブルク斜堤にできた家庭的な「大きなマヒワ亭」で初演。
11月27日付の『劇場新聞』は「何年もの間、これほど新鮮でユーモラスな色彩と魅力的な楽器法のダンス音楽は作られなかった」と好評しました。
ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ〈酒・女・歌〉op.333
Johann StraussⅡ: Wein, Weib und Gesang, Walzer, op.333
「酒・女・歌を愛さないものは、一生愚か者である」とはルターの言葉。
この題名の作品はウィーン男声合唱協会によって 1869年 2 月 2 日のディアナ・バートでの謝肉祭の仮装舞踏会で初演。
序奏で「天にまします神様が、いきなりブドウの若枝を生えさせた」で始まり、第 1 ワルツで「さあ注げ、それ注げ・・・フランケン・ワインをたっぷり注げよ、なければ愛しのオーストリア産」と続きました。
管弦楽版は 3 月 16日にペストでシュトラウス楽団により披露。
ウィーン初演は造園協会で3月29日(復活祭の月曜日)。
ミュラー2世はヨハンの死後、オペレッタ《ウィーン気質》を構成する際にこの旋律と〈朝刊〉op.279を使用。