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【音と言葉】言葉をなくしても

鈴木悠介さん撮影

芭蕉の句「古池や蛙飛びこむ水のをと」主役は音

閑寂の緊張をとらえ、動の中に静をとらえて充足する耳。

民族は、その耳にふさわしい音を選びとり、固有の音の世界を形づくるそうです。

話しことば、手足の動き、楽器等。

あらゆる生活領域に向けられた鋭い観察を通じて、日本独特の音の世界を抽出し、独自の日本文化論、音楽論を展開しています。

「日本の耳」(岩波新書)小倉朗(著)

そう言えば、加藤周一さんが、「音楽の思想」の中で、小倉朗さんの音楽を、

「形になった感情」

小倉朗「交響曲ト調」

と呼んでいました。

面白いなと感じたのは、加藤周一さんが、

「形になった感情」

に対して、

「身体になった感情」

武満徹「鳥は星形の庭に降りる」

TeN「翼(武満徹)」

と呼んだのが、武満徹さんの音楽であり、後から来た世代の音楽的感情は、これ程に理解し難いものだったのでしょうね。

そんな音楽的感情は、誰しも、感覚的に備わっているのではないかと思うのですが、参考までに、作曲家・ピアニストである高橋悠治さんの見解を、紹介しておきます。

「音楽的感情は、音楽の輪郭となるもの、それ(ら)は、分析の結果あらわれる構成要素や、計算された配列のように、分離され、定義され、操作されるというよりは、うごく音の全体として共有される。

音楽が響くとき、さまざまな感じかたのちがいを包みこみながら、だれのものでもない空間がひらく。

ちがうことを感じながら自由に歩き回れる場で、音そのもののあらわれから位相を移しながら、ちがいをそのままに人びとの心を通わせる通気口になる。

それが音楽のもつ強さとしなやかさと言えないだろうか。」

そんな日本音楽を、客観的に捉えるため、それを、民族音楽の一つとして、現世界の座標の中において見たり、また、音楽というものを、より、広い日本文化の中で比較対照して見た思索の堆積が本書です。

「日本の音」(平凡社ライブラリー)小泉文夫(著)

本書では、日本の音楽教育において、何故、伝統音楽を締め出した形になっているのか?という問いを、豊富な邦楽研究の成果から論じています。

この伝統音楽が、最も直接に影響を受ける分野が、言語および文学であり、

■言語の音楽的側面である音調

■シラブルの構成は直接に唱えごと

■語りもの音楽のリズムや旋律の形

となって、歌にあらわれている点が、とても興味深いですね。

こうした言葉と音楽との平行現象に関して、もし、興味があれば、

「音楽の根源にあるもの」(平凡社ライブラリー)小泉文夫(著)

の「日本語の音楽性」他を、参照してみて下さい。

この様に、一冊の書物から、音楽が聴こえてくるなどということは、なかなか出会えない体験なんだけど、例えば、この本達を読んでみて頂けたら、もしかしたら、音楽が、聴こえてくるかもしれません(^^♪

「音、沈黙と測りあえるほどに」武満徹(著)

「雨の念仏」宮城道雄(著)

「音と言葉」(新潮文庫)フルトヴェングラー(著)芳賀檀(訳)

【おまけ】
季節外れだけど、寒くて仕方ない冬の真っ暗な帰り道、コートのポケットに、手を突っ込みながら聞きたい曲♪

缶コーヒーがなくても、温まると思うよ(^^♪


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