【備忘録】貢献できるかどうかという意識に変えていく
他者からの評価によって、自分の価値を実感する。
周りから褒められて、自分は間違っていなかったと納得する。
廻りから認められて、頑張ってよかったと安心する。
その過程で、自分は、このままでいいんだと実感する。
誰しも、少なからず、前述の様な他者からの評価を抜きにして、自分ひとりで、自分の価値を実感することは、なかなか難しいと思います(^^;
でも、それは、受動的で不自由な生き方です。
では、どうすれば良いのか?
ここで考えていただきたいのが、自らが他者に貢献できるかどうかです。
今いるリアルな世界で、何かを演じる必要が有ったとしても、自分は、何に貢献できるだろうかと考えて、それを実行してみる。
大抵の場合、相手の自分に対する期待値は高めに設定されているので、その対象毎の期待値を推察し、その期待値を超える様に努力しながら、他者に貢献していく中で、自らの価値を実感する方が、私の経験上からも、メンタル的に良いと考えて行動しています。
このアプローチは、北米で働いていた当時、良く目にしたし、参考になる事が多かったので、自分なりにアレンジして取り入れてみました。
その際に心がけていることは、「出し惜しみをしない」です。
例えば、今、自分が持っている技術の全てを使って、お客様が納得しているかどうかを観察しながら説明し、理解していないようなら、即座に、説明パターンを切り替えて、別な角度から説明を試みる。
こうすれば、自分の足りなさを、痛感できます。
現場は、常に、勉強の場でもあるので、その足りなさを知り、次の行動に繋げて行く。
最初は、上手くいかないことも多いと思います。
ただ、自分は、誰かのために貢献しているんだという実感を持ちながら、鼻歌まじりに何かをしていたら(^^)
誰かが手伝ってくれるようになるかもしれないし。
ならないかもしれないし( 一一)
たぶんならないことも多いかもしれないけど(^^;
それでも、私は、満足だという貢献感を持てるかどうか。
本物の貢献感は、相手に依存しない、自己満足でいいのだと、そう思います。
そこが重要なポイントなのかなって、そう思います。
この自己満足は、決して誰とも交わらず、孤高の人になるのではなくて。
他者から手を差し伸べてもらうのを待つのではなく。
こちらから手を差し伸べて貢献して行こうという姿勢です。
自分の技術をシェアした方が、チーム力は格段にアップするので、対応可能なパターンが、それだけ増えるため、物事を進める上で有利に働きます。
そのため、今からでも、プライベートでも、仕事でも、実践可能だと思います(^^)
西郷隆盛も「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人をとがめず我が誠の足らざるを尋ぬべし」と言っていました。
また、儒教の古典である「大学」の中には、慎独という言葉があります。
これもまた、ひとりでいる時こそ、自らの行動を慎めというものです。
誰が見ていようと、あるいは、見ていなくても。
自らの行動が他の人の信用を得られるようにしていきたいものです。
最後に、不易流行(いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。)という言葉があります。
世の中は、常に変化しながら、その底流には変わらぬ不易なものがあるのだということを意識しておきたいですね。