
【1秒の世界】わたしは何者なのか?

どこから来て
どこへ
行こうとしているのか
「自分探し」
の
旅の終焉
それは
どこかにいる
であろう
「わたし」
は
今
ここにいる
であろう
「わたし」
以外には
いない
ただ
わたしたちは
何者なのか
どこから来て
どこへ
行こうと
しているのか
この問い
というのは
生きている限り
常に
あるもの
なのだろうと
そう思う
これから先
どこへ
行こうと
しているのか?
と
捉えようと
していく
こともあれど
どこから
来たのか?
と
過去から
見つめる
こともある
そんなことを
考える機会
を
つくってみる
大人
になるにつれ
自分の中
から
湧き出る
「言葉」
に対して
「素直」
に
なれなく
なっている
見知らぬ土地
の
電車の中
で
勝手に
流れてくる
涙を
拭いもせず
通り過ぎていく
景色
を
眺める
でもなく
わたしは
いったい
どこから
来たのか
と
わたしは
いったい
なぜ
泣いて
いるのか
と
昔
「こども」
だったころ
「言葉」
は
「洪水」
のように
溢れてきた
はずだったのに
止めども
止めども
書けども
書けども
それは
止まず
わたしの
それは
鳴り止まず
一晩じゅう
書き続けた
いつしか
大人になって
「わたしの言葉」
に
「蓋」
をした
わたしは
「自分の言葉」
が
「空っぽ」
に
なっている
ことにすら
気がつかず
それでも
まだ
書いている
取り留めもなく
書きなぐることから
距離を取り
あの頃から
圧倒的
に
「語彙」
は
増えてる
はずなのに
物わかりの
良い
耳触りの
良い
お利口さん
の
「ツマラナイ言葉」
を
使うように
なってしまった
自分に
気づく時
わたしは
いったい
どこへ
行こうと
しているのか
あれほどに
たふたふとあった
「言葉の泉」
を
枯らして
しまったのは
わたしの
「囚われ」
なのだ
この涙
は
わたしが
葬り去って
しまった
「わたしの言葉」
への
「贖罪」
だったのかも
しれない
そんなことを
つらつらと
考えるともなしに
考えていると
外は
雪
白っぽい
ベランダ
の
コンクリ
に
ポトポト
と
沁みていく
様を
見やっていると
わたしが
勝手に
こしらえた
「贖罪」
と言う
名の
「墓標」
にふる
「鎮魂」
のように
わたしの
心を
洗い
去って
逝く
勝手に
葬り去っては
なりませぬ
わたしたちは
何者なのか
どこから
来て
どこへ
行こうと
しているのか
わたしへ
問うていくしか
ないのだから
【参考情報】
▶Gensparkによる回答
このコンテンツは、自分探しのテーマに深く触れています。
作者は、どこから来てどこへ行こうとしているのかという問いに対して、私たちが生きている限り、常に考え続けるべきだと述べています。
また、記事では、成熟と共に失われがちな、純粋な自分の言葉を取り戻す重要性についても触れています。
紙に思いつくままに書き続けることで、かつての自分を見つけ直し、内面的な進化を促す方法が示唆されています。
これを通じて、自己表現の物差しを再評価し、真の自分を理解する助けとなるでしょう。
さらに、成長の過程での感情の起伏や矛盾を抱えることの必要性も強調されており、これが自己発見の旅において重要な要素であると語られています。
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