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「頭で考える」より「心で感じて」みる

普段ココロで感じることを大事にしていますか。

アインシュタインも「自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。」と言ってたし、ね^^;

いくら頭で考えても答えが出ないとき、自分のココロに聞いてみると、答えは意外に明白だったりすることってないでしょうか。

だから、ホントはココロで感じてその気持ちを大事にしたいこともいっぱいあるはず。

なのに、それをけっこうやらないことが多い。

やっていても、無視していたり。

つまり、自分のココロは聞こえているけど、無視してる、とか。

人から聞いたり、教えられたことよりも、自分で体験して感じたことのほうが学べることも多いから、実際にやってみて、どんなことを感じたのか、その感覚を大切にしていきたいよね(^^)

知識を得て考えるだけでなく、自ら体験していくことがポイント!

自分の心が言っていることが、周りにちゃんと説明できるかどうか、どう思われるか、また論理的かどうか、周りが認めてくれるかどうか、なんてあれこれ考えちゃうんですよね、きっと。

だからココロが言っていることをどう正当化するか忙しかったりもします。

他に、何かのためにホントのココロを我慢していたり、自分を抑えてしまったりのクセがついているときもあります。

心の声を聴く前に、こんなにたくさんのことをやったり、考えていたら自分のココロが見えなかったり、聞こえなくなったりするのも無理はありません。

昔(小さい頃)はココロの声しか聞かなかった私たちが、いつの間にこんなに周りの声を重宝するようになっちゃったんでしょうね。

結局、大人になるにつれてタテマエからシガラミを覚えて、ときに正直でいられない状況を作ってしまうからでしょうか。

タテマエもシガラミが全くない人も少ないはず。

それに、タテマエもシガラミも無視して生きるのは社会や組織の中で生きている以上、非現実的です。

だからそのあたりを無視すればいいというわけでもありません。

となると結局一番のポイントは、いつどんなときに自分のココロにちゃんと聴き、その気持ちを尊重するか、高い優先順位をつけるか、ということですね。

タテマエで困らないところは、タテマエで通しておいたって別にいいし、シガラミに巻き込まれてもとくに問題ないなら、それはそれでいい。

その方が現実だし、正直でいなければいけない、というようなプレッシャーもありません。

そもそも正直なのは、そうありたいから正直なのであってそうでなければいけないとなれば、こちらも不自然。

不自然なことはずっとは続かない。

大事なところだけ、迷ったり、岐路に立つようなときだけ、しっかりココロを感じて、ココロを尊重するのかどうか、判断したいものです。

あなたがココロで感じることを尊重したいのはどんなとき?

最近ココロが感じていて、これは大切だと思うようなことはありますか?

もしあるなら、ぜひ一度、本当にその気持ちをどうしたいのか、無視してもいいのか、それとも他のオプションがいいのか、考えてみてください。

また、気づいていて無視している自分に気づいたら本当にそのままでいいのか、もしこのまま無視し続けるならどれくらい持つか、考えてみるのもいいですね。

自分のココロで感じることは、しばらくは無視できてもいつか手を変え形を変え、また必ず湧き上がって来るので、それもいいサインかもしれません。

最後に、ダニエル・デフォーは「我々が感じる不満の全ては、我々が持っているものに対して感謝の念を抱くことがないことから生じている。」と言っていました。

全てのことに感謝する気持ちがあれば、物の見方は自然と変わってきます。

不満を言いそうになったら、それをどう感謝に変えるかを考えてみる!

周りの環境は変えられないのだから、自分の考え方を変えていければ良いですね(^^)

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