時空を超えて思いを馳せる
未来のことを考えれば不安がないわけではない。
しかしいまはとにかく、食べて暮らしているだけの稼ぎがあって、夜には誰にも邪魔されずに、最高の読書環境で好きな本を読んでいられる。
来る日も来る日も、変わり映えはしないが、幸福な時間が待っている。
今日はどの本を読もう。
どこまで読もうか。
自分一人で決めて、自分一人で楽しむ。
そんな日々が約束されているとしたら、私はなんだか憧れてしまう。
夢というほど途方もないことではない。
ある部分を断ち切ってしまえば、誰にでも明日から実現可能な生活だとも言える。
なるべくならほかのことにわずらわされず、ただ本を読むためだけに生きる。
そんな人生もありか、と考える。
長田弘の「世界は一冊の本」という詩の中は、「本を読もう。/もっと本を読もう。/もっともっと本を読もう。」で、はじまる。
「世界は一冊の本―長田弘詩集 (definiti)」長田弘(著)
そして、途中にこんな一節がありました。
「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。」
私も、いつだって、もっともっと本を読もう、読みたいと考えている。
そして、見えない言葉で書かれた世界のことを、少しでもたくさん知りたいと思っている。
人がすることすべて上達というものがあるのだとすれば、読書もまったく同じであって、何度も繰り返し、上手になりたいと願い、学び、そして、少しずつ腕前が上がっていくのかもしれませんね(^^)
読めば読むほどいろんなことがわかってくるし、前にはわからなかったことが突然見えてきたりします。
若いときに読んで気づかなかったことに、年をとって再読したとき、ああそういうことかと気づいたりすることができれば、少しは、読書の腕前も上がったのだと、素直に喜びたいなと思う。
そう、本の扉は、ドラえもんのどこでもドアと一緒なんだって、最近、思えるようになってきた(^^)