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【LAWドキュメント72時間】滴るような時間

その日。

その場に。

集う人によって。

味も変われば。

形も変わる。


感じることも。

見えた景色も。

違うだろう。


そして・・・

忘れることもあるだろう。

人は忘却の生き物だ。


それでも。

やはり。

滴るような時間は。

これから先。

わたしの前に。

何度も現れる。


目の前で。

絞られる。

そう果実のように。


いっときでも。

時間を共有した人やものに。


これから先の道のりで。

喉が乾いたときに。


鞄から取り出す水筒のように。


心が錆びついた時に。


突然降り出す雨のように。


時空を越えて。

潤う時間を。

届けてあげられたらと。

切に願う。


そのために。

何のために本を読むのか?

「知の体力」(新潮新書)永田和宏(著)

著者は、

「読書や学問の意味」

は、新たな「私」に出会うため、と言う。


「読書や学問をすることの〈意味〉は、端的に言って、自分がそれまで何も知らない存在であったことを初めて知る、そこに〈意味〉があるのだと思う。

ある知識を得ることは、そんな知識も持っていなかった〈私〉を新たに発見することなのだ。」


その驚きや喜びが。

しんどい作業で、ともすれば敬遠しがちな、学問や、研究への興味や、モチベーションに、つながるのだと。

そして、知ることに対する敬意、リスペクトの想い、につながるはずだと。

新たな自分を再発見することは、自分を客観的に見つめ直すことでもある。

読書や学問を通じて、自分を見つめるための複数の視線を得ることで、独りよがりにならず、世界と向き合うための基盤を作ることが大切。


「勉強や読書は、自分では持ち得ない〈他の時間〉を持つということでもある。

過去の多くの時間に出会うということでもある。

過去の時間を所有する、それもまた、自分だけでは持ちえなかった自分への視線を得ることでもあるだろう。

そんな風にして、それぞれの個人は世界と向き合うための基盤を作ってゆく。」


読書の場合、自分の世界観を広げるきっかけとなるような本は、やはり「古典」と呼ばれるものから見出されることが多いと思う。

私たち人間の思考や心の歴史をたどれば、本当に多くのことに悩み、苦しみながら新しい道を開いてきた。

こうした歴史の中で、読み継がれてきたのが「古典」なのだから。

古典(出版から100年は経った本)に親しめば、日々の悩みなど、些細なことだと悟れるだろうか。

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