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【ことばの意味とはなんだろう】言葉の「active zone」に気をつけて!

SamAliveさん撮影

■ポイント

言語表現の正確な意味は、言語使用のコンテクストの中ではじめて決まる。

「換喩(metonymy)」は、この一般的原理を明確に示す言語表現である。

換喩とは、ある事物を表すために、それと深い関係のある別の事物で置き換える比喩表現であり、換喩の例としては、次のようなものがある。

「青い目」

「西洋人」

を表す。

「鳥居」

「神社」

を表す

「村上春樹」

で作品を指す。

「しみる」

という動詞を使って

「冷たい水が歯にしみる」

とも

「歯がしみる」

とも表現する。

換喩は、どんな言語にも存在すると考えられており、動詞に対しても起こり得る。

■テキスト

「ことばの意味とはなんだろう-意味論と語用論の役割」今井邦彦/西山佑司(著)

■書評

■参考文献

■メモ

辞書には、真っ先に、指示意味が記載されているが、言葉には、この指示的意味の周辺に、さまざまな背景的情報を身に纏っている。

これを共示的意味(コノテーション)という。

例えば、

「ざらざらの」

と言えば、

「皮膚感覚」

が喚起され、

「苦い」

と言うと、

「味覚領域」

が立ち上がる。

認知言語学では、このように単語が喚起する領域を、

「言葉のactive zone」

という。

言葉は、私たちの、いろいろな場所に働きかけているのだと気づけると、色んな感覚を感じることが可能となる。

このように、言葉は、

「体感」

まで含めて、様々な意味や感覚や感情を惹起する点で、

「わかる(分かる/解る/判る)」

言葉に対する接し方に注意が必要となる。

例えば、俳句・川柳を読む読者は、この川柳の様に、

夜型の髪へ獅子座の匂い降る
木漏れ日のようね手首をねじりあげ
南国まで逃げて目覚まし時計
黄ばんだらポストに入れる絶縁状
食べおえてわたしに踏切が増える
ボクサーか寝ているしずかな輪のなかに
いいだろうぼくは僅差でぼくの影
夏服はほとんど海だからおいで
窓たちよ手ぶれのなかの桐一葉
ついたての奥へいざなう渡り鳥
白鳥のように流血しています
星々はとてもくちうるさい焦土
照らしてあげて生産農家が通るから
絶滅も指名手配も断った
裏側を真綿がずっと揺れている
CIAへの憧れで支払うわ
きみの静脈変よ、誕生日みたい
サンタクロース同士のキスを巻き戻す
あの星が滅びるまでの舌鼓
(平岡直子「Ladies and」より)

句に書かれた言葉を、

「発条/撥条/弾機(ばね)」((比喩的に)行動を起こすきっかけ)

として、句には書かれてはいない、

■意味

■感覚

■感情

を、

「心の中」

に呼び起こしていると推察される。

その様は、池に小石を投げ込んだときに、落下点を中心として、周囲に、静かに、波紋が拡がってゆく様に似ている。

波紋は、お互いに、複雑に、干渉して、更に、拡がってゆく。

そのさざ波の揺らぎが、俳句や川柳のポエジーを立ち上げている。

そのことからも、俳句・川柳は、短歌に較べて、読む人に委ねられている部分が大きいことになる、と言われている。

それは、

「私性」(※)

に縛られている短歌に較べて、

きみの指を離れた鳥がみずうみを開いていけば一枚の紙
きみにしずむきれいな臓器を思うとき街をつややかな鞄ゆきかう
動物を食べたい きみのドーナツの油が眼鏡にこすれて曇る
遊びおわったおもちゃで遊ぶ冬と夜 きみに触れずに雨がとおった
ああきみは誰も死なない海にきて寿命を決めてから逢いにきて
王国は滅びたあとがきれいだねきみの衣服を脱がせてこする
裸眼のきみが意地悪そうな顔をしてちぎるレタスにひかる滴よ
夢の廃墟が見ている夢に響かせるように額へきみのてのひら
夜と窓は強くつながるその先にひとりぼっちの戦艦がある
この朝にきみとしずかに振り払うやりきれないね雪のおとだね
魂に沿わないからだの輪郭をよろこびとしてコーンフレーク
ひかりふるあめふるおちばふる秋のあわいできみはのどをふるわせて
そしていつかきみを剥がれおちるものたち内臓を抱きしめる骨
冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか
燃えあがる 床を拭くとき照らされる心に地獄絵図はひらいて
(平岡直子「みじかい髪も長い髪も炎」より)

前述の様に、川柳が、より自由に振る舞うことができる詩型だと、そう感じることが可能だといった様な個人的な事情があるのではないかとの意見もあり、次の様な

「観る」

行為でのアプローチも面白いと感じる。

■短歌の感動の中心を表す言葉である「けり」や「かな」などに注目する

■短歌は俳句や川柳よりも長い形式で、感情や叙情を豊かに描写していることに注目する

■短歌には季語を入れる必要がないので、題材に決まりがないことに注目する

※印:
「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の―そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。

そしてそれに尽きます。

そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は表現として自立できないのです。」

「現代短歌入門」(講談社学術文庫)岡井隆(著)篠弘(解説)より

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