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価値観と物差し
台風で一日のやる気と予定をすべて奪われてしまったので、せめて何か生産したいと思いたちパソコンに向かっている。
下書きの中から手ごろなタイトルを取り出して文章を紡いでいく。
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それで今回の話は、人の価値観って物差しみたいだなーって話。
この価値観と物差しの話には高校時代の長い前置きがあるんですが、今回は省略します。その経緯を言葉にできる気がしないので…
で、本題。この考え方は結構的を射ているのではないかと個人的に感じている。
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そもそも価値観って何だ?
価値観(かちかん、英:sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。 価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。 ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。
(Weblio辞書)
つまりは何かを判断するときにそれをどう捉えるか、みたいなことだと私は認識している。
人の判断には価値観がつきもので、あれが良いとか悪いとかの判断だけでなく、このことに対してどう思うか、何を考えるか、みたいな思考の根底にも根付いているものだと思う。
価値観がないと人は判断や思考を行うことができないといっても過言ではないだろう。
だからこそいろんな価値観を手に入れる必要があるし、そうすることでいろんなことを考えられるようになると私は思っている。
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価値観と物差しの共通点
物差しと価値観の共通点は、一種類だけでは測れるものが限られてしまうという点である。
例えば、センチメートルしか測れない物差しでは、測るものの値をヤード単位で出すことができない。
もちろん計算すれば出せるが、自分で測って値を出したという感覚は計算という行為を媒介することによって多少なりとも薄れてしまいリアルさが失われてしまうだろう。
そこでヤードの物差しを手に入れることによって、よりリアルに値を出すことができるのである。
このように所有する物差しの種類を増やせば増やすほど、計測の可能性が広がるのだ。
これは、価値観にも当てはまるのではないだろうか。
つまり、物差しの如くより多くの価値観を手に入れることで一つの物事を多角的に分析することができるようになり、今まで思いつかなかったものが生まれる可能性があるのだ。
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価値観と物差しの相違点
しかし、物差しと価値観には残念ながら異なる点が存在する。
それは手に入れるハードルの高さである。
物差しはお金さえあれば手軽に手に入れることができるし、なんならほかの物差しを参考にして自分で作ることもできる。
対して価値観は、自分の中にある価値観を再構築して新しく作り替えることはできても、全く新しい価値観を手に入れるのはそう簡単にはいかない。
価値観は他人と関わり、会話を交わすなかで自分が欲しいと思ったものを再現して自分のものにしていくか、本や文献などから感銘を受けた考え方を自分で再現するという再現のプロセスが必要になる。
価値観を使って最終的に判断するのは自分だからだ。
しかも、価値観というものにヒントはあっても答えはない。
だから最終的には自分で価値観を作り上げていくしかないのだ。
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それでも価値観を増やしたい。
こんなに新しい価値観を手に入れるのに苦労するなら、今持っているもので勝負しようという気になるのもめちゃくちゃ理解できる。
それでも私は、価値観を増やしたい。
なぜなら、価値観を増やさないと他人を理解することに限界があるからだ。
相手の考えや感情の根底にあるのは相手の価値観である。
それを理解できないと相手を理解することはできないのではないかと思う。
もちろん、自分の考えを相手に伝えるのも大切なのだが、それは相手の考えを汲み取ってからではないだろうか。
すべての価値観を手に入れることはできないし、その労力は他の所に回すべきだと思うが、自分の持つ価値観とベクトルが違うものは積極的に吸収していくべきだと思う。
いろんな引き出しがあればそれらを組み合わせて使うことも可能になる。
自分のことや相手のこと、さらには社会のことを考えるとき、自分の価値観が多ければ多いほどより自由で、柔軟な発想ができるのではないだろうか。
だからこそ、価値観を増やすことを怠ってはならないと思っている。
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と、ここまで書いたけど
どれだけ "物差し" を増やしても、相手の考えなんて本当は分からないのかもしれない。